渋沢栄一さんのNHKの大河ドラマ「青天を衝け」が始まりましたね。
いささか興奮しております。
と、申しますのも、この日本の近代化を主導した渋沢栄一さんのご生家は、埼玉県深谷市。
なんと、このご生家の旧渋沢邸のお屋敷で、今から30年以上前に、観世喜之師匠が稽古場を開かれ、渋沢氏のご子孫の御方とご相談されて、能の普及と共に若い能楽師を育てる為に内弟子独立間際の書生が、代々、先輩から後輩に受け継ぎながらお稽古に伺っていたのです。当時は渋沢国際学園といって外国人留学生も大勢来ていました。
私も先輩に連れられて内弟子卒業の頃から伺い、独立後も何年か稽古に伺っておりました。
今思えば、未熟な私を渋沢の方々は心広く育ててくださったと思います。
思い出すと本当に顔から火が出る思いです。
もう三十年以上も前の話ですが、当時は元市長様や元教育長様、教育関係者が、退職後にさらなる勉強にと稽古に来られ、また謡いを習いたいと熱意のある近隣の方々がお集まりになり、20代の若造の私の話を、それはそれは熱心に聞いて下さり、驚くほど真面目に謡いや舞いの稽古をされてました。
今もし、タイムトラベル出来るなら、あの時より絶対面白い稽古が出来るのに!もっと面白いお話や、あの頃より成長した謡いをお聞かせ出来るのにと思います。
渋沢家の生家は、大変広く、今では旧渋沢邸、中の家として市の施設になっていますが、当時はまだ、末裔の方が管理をされていたのです。
大きな藁葺き屋根、黒々とした柱。古き良き日本の旧家の佇まいで、休憩時間はぼんやりと私も庭を眺めていました。
第一話で映し出された少年栄一が育った家は、その後明治になり建て変えられて、私達が稽古場にして通った所のようです。その畳の上で、謡や仕舞の稽古をしていました。
今思えばよくぞまあ、こんな歴史遺産の凄いところで稽古をしていたものです。
能のほかにも、外国語を教えに来る外国人の先生がいたり、教養講座をされたりと、国際色豊かな文化的な場所だったのです。
やがて私が独立して、関越を走って車で通うようになると、帰り際にお弟子様が自分のところで取れた深谷のネギをトランクに入れてくれて、風邪ひかないようにね!と下さったのも懐かしい思い出です。
私の後、小島英明君が稽古場を受け継ぎ、その後彼が何度も深谷市で普及公演をして今に至っております。(現在は中の家では稽古していません)
この大河ドラマを機に、再び深谷や近隣の文化や観光が賑わってくれたら嬉しいです。
そうそう、近くには、岡部六弥太、熊谷二郎直実、実盛など、音に聞こえた能楽ゆかりの坂東武者を輩出しております。
今年は深谷が熱いです!
今年の秋には、その頃にはきっと大勢で深谷に史跡巡りに行けますね。
楽しみです。