能楽夜ばなし

能楽師遠藤喜久の日常と能のお話

ところざわ能 2013 所沢ミューズ

ところざ能11 公演後記1 &あどれす変更

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先日のところざわ能の一角仙人の写真が届きましたのでUpします。
お囃子方は、藤田貴寛 森貴史 柿原弘和 小寺真佐人の皆さんでした。

今回は、能楽堂とは違う劇場ホールのライティングなので、ツレの美女の装束は、物凄い豪華な出で立ち。
それがロウソクと舞台照明に浮かび上がりまして、面の中から見ていてもなんとも妖艶な美しさでした。
思わずつられて舞い始める仙人。

「真面目な仙人が女にたぶらかされて、神通力を奪われ、竜神にコテンパンにやっつけられてかわいそうだった。
酷いのは人間の方。」
・・・なんて仙人に味方していただくコメントも多くいただきました。
もう少し悪役に徹すればよかったかな(笑)

また皆様からご意見ご感想いただければ思います。


あと、このブログのインターネットアドレスが今日から変わりました。
ライブドアブログのサービス変更です。
今テスト期間ですが、アクセス出来ますか。
今時、アドレス打ち込むことは少ないですけど、短いほうが表記が楽ということで。
よろしくお願いします。

さて、私は、10月3日に、鎌倉能舞台で能「融 とおる」舞返をさせていただきます。
秋の名曲ですね。
小書き演出なので、前半の詞章が短くなり、後半の舞が長くなります。

このところお役が続きましたが、これで一区切りなので頑張らねば。
よろしくお願いしまーす。

28日の週末は、所沢航空公園ミューズへ。 所沢能9 

目が回るような一週間で、お寺の催しのあとに、坂君の申合と公演せを縫って28日の公演の打ち合わせを劇場担当さんとしつつ、新潟長岡の父のところに行ったり来たり、それでもって、稽古やら雑用やら、なんだか時間の感覚がおかしくなる一週間で、記憶が吹っ飛んでおります。同じことを書いていたらごめん遊ばせ。

蠟燭能は、お陰様で一階席は埋まって来たようですね。ここは、2階3階とありまして、やっぱり1階のS席が見やすいように思います。と、さりげなくすすめつつ(笑)

当日は、猩々と一角仙人の現代語訳文がプログラムになるようですから、言葉の心配はありません。
お子様にも読めるようなものになっております。

猩々では、酒のお話ですから、酒と云うと中国をロケーションにした能「菊慈童」の故事にからんで、菊の水というようなことが出てきます。
釈尊に教えられ皇帝の穆王だけが知る特別な経文の2句を賜って、山奥に捨てられた慈童。
その大切な言葉を書きつけた菊の葉から下だり落ちた露を飲んで不老不死となったという菊慈童伝説に因んで、日本では、宮中の宴で酒に菊の花を浮かべて健康を願った。
これによって酒と云えば、菊の水とつながるようになったとか。
また9月9日の重陽の節句では、菊に綿を被せて、その露を含んだ綿で体を拭くと健康になるという習慣が伝わった。
私のお弟子にも着せた綿をした事がある方がいて、聞いたところ、薬草のような匂いがするそうだ。

資料によれば、菊慈堂はお話は太平記に題材として、場所は中国であるが天台宗の経文の功徳を説く日本産のお話である。
それが、猩々の詞章の中に酒繋がり、中国つながりで出てくるのが面白い。
秋の夜長、月夜に菊の花を浮かべて優雅に宴をしたいものだ。

あ、そうだ来月の10月3日に鎌倉能舞台さんで、この月の宴をさせてもらいます。
といっても舞台上のことですが。
光源氏のモデルの一人ともいわれる、平安時代のお大臣。源の融。
今回は、舞返しの小書きがついて、後シテの月夜の宴の場面がクローズアップされます。
なんていたって、海から海水を運ばせて、京都の真ん中に東北の海を再現して作った男ですから、スケールが違います。

というわけで、今私の中には、角の生えた仙人と、平安随一のお大臣が憑依して同居しております。
変な感じ(笑)

おお、そうだミューズの翌日に国立の奥川恒冶さんの会で
安宅の関を超えないといけないから、山伏君もいた。山伏君はもう何回やったかわからないから、常駐であります。

だからまず、インド行って、翌日に石川県行って、京都ね。

ミューズの蠟燭能は、普通の能をそのままホールでお見せするのではなく、ホールならではの場面照明や蠟燭などが入ります。また舞台も奥行きも違うので、これだけでずいぶん能の印象が変わります。
この辺りが楽しくなるといいなと思っています。
是非、お出かけ下さい。









綺麗な舞台でした

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昨日、お寺の催しが終わって、あまりに美しい花の舞台に装束を脱がずに一枚。
あー能面も取らずにそのままかけて撮ればよかった。
皆様ごめんあそばせ(笑)
じつに惜しい事をしました。
本番の映像が無いので記念写真を一枚。
源氏物語野宮のイメージで舞台を作って下さったのです。
主催のお寺様の還暦祝いと法話の会でしたが、凄いセットを組んで頂き舞えて幸せでした。
お寺の檀家様向けの限られた催しでしたので見れた方は、滅多にない彩りを楽しんでいただけたのではないかと思います。
これぞ仏縁。感謝合掌。

ところざわ能8 猩々は福の神となった

猩々ていうのは、能くらいでしか知らなかったのだが、意外と日本中に伝説や祭りが残っているという。
そして猩々の名前のつく動植物も結構いる。
Xmasにお馴染みの赤い花、ポインセチアも和名は猩々花だそうだ。出猩々紅葉なんて綺麗な紅い花もある。
猩々蠅なんてのもいたが、あれも酒によってくるからだそうだ。赤い猩々蟹やら猩々海老
ゴリラの和名は大猩々だそうだ。オラウータンが猩々だとか。
宮崎アニメのもののけ姫にも、猿のような猩々が出てきたが、探って行くと皆中国の古書「山海経」にたどり着く。
古くはインドネシアモンゴル中国辺りの未開の地には人魚や河童同様の猩々の伝説はあったのだろう。
あちらの伝説では狩の対象とされる珍獣であり獣であった。
やがて日本に入ってくる頃には赤くて酒好き。
どこか福の神的なところがあり、その笑みと合間って、親しみのある霊獣として語られるようになる。
これは日本人の国民性の成せるわざではないかと思う。
異国のモノも異形の者も「おもてなし」て祀る。

そして能の猩々のイメージへと続く。
親孝行の男に汲めども尽きぬ酒壺を与え、恵みをもたらす精霊。福の神。
能楽の猩々が成立した以降の猩々祭りは、能の影響が多分にあるのではと推察する。
祭りには酒や踊りが欠かせないから、猩々のイメージとその真っ赤な賑やかな姿で、祭りの中に誘われて行ったのではないか。
この猩々が子供達のお尻を叩き、叩かれた子供は健康に育つという。
海外で生まれたマントヒヒのような生き物の伝説が、日本に来て長くいるうちに福の神になってゆく。
こう書くと、なんだか日本はやっぱりいい国だね。

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最後に当家にある猩々面をお見せしよう。
作者成立年不明。
どのように使われていたものなのか痛みが激しく近年修繕補修した。
父が大瓶猩々で使用した。
なかなかの福相である。

さて28日のところざわ能では、この猩々が2体現れ乱舞を舞う。
觀世喜之喜正二人の師匠の至芸をお楽しみいただきたい。

公演詳細
詳しくは劇場ホームページへ。




角の生えた仙人 一角仙人 ところざわ能7

さて、なんと7夜連続投稿は新記録であります。
暇なのか?って、暇なわけありません。
一日も休まず寝ないで頑張っております。(ま、少しは寝ますけどね(-_-)


さて今回の公演は、サブタイトルに蝋燭能と書いてあります。
劇場公演なので、室内で薪火が使えませんので、少しでも幽玄味を感じで頂こうと考えだされたのが、このロウソク照明による能です。
とはいっても、蝋燭だけではとても暗くて舞台が見れませんので、照明を入れさせていただきます。
また、これは照明サイドの管轄ですが、一般の演劇公演のように多少照明演出が施されるようです。

なお、乱、蝸牛は、そのままの明るい照明で、蝋燭能は「一角仙人」でお楽しみいただく予定になっております。
通常能は自然光か、電球光のみですから、また雰囲気の違うホールならではの舞台になると思います。
どうぞお楽しみ下さい。

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公演詳細
詳しくは劇場ホームページへ。

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おまけ画像。
チラシの初期イメージ下書きデザイン。
今回の本チラシは劇場作成ですが、これは私のイメージデザイン。
ロウソクに照明という極めてわかり易いデザインでした。。。。

週末は、深谷能、九皐会定例能 東京芸術劇場 国立能楽堂記念公演etcといよいよ怒涛の秋公演がスタートします。
頑張りまーす。


角の生えた仙人 アイマイなお話 6

9月28日のところざわ能特集。
なんと6夜目。
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あのね。所沢って来たことない方は、遠いと思うかもしれないけど、意外と近いのよ。
しかも、びっくりするぐらい環境が良いのよ航空公園駅は。所沢駅から一駅隣りで2分位?
なんてたって森と芸術の街なんですよ!

ここは皆な来ると驚く大劇場。公園に囲まれた芸術ホールが3つもあります。
今回はその中の中ホールで致します。ここにせり出しの能舞台をしつらえます。
オペラ劇場のようなホールで、国立能楽堂以上の集客容量なのですよ。
沢山の方に来ていただきたいですね。

さて、今夜の話は、あいまいなお話。
能では、曖昧ではなく。愛舞でもなく。
相舞です。

能では、通常お囃子に乗って、あるいは地謡にのって舞う時は、一人で舞うのが多い。
これが二人以上で舞うと相舞をする。というのですね。

今回の公演は、実はどれも、相舞があるのです。
乱は、双ノ舞といって、猩々2匹がそれぞれに乱れ舞う。
蝸牛も、面白い相舞のような場面が出てくる。
そして、一角仙人も、美女と仙人の相舞。


これすなわち、芸の見せどころなのであります。

能の場合は、能面をつけていますから、実際にはお互いが見えたり見えなかったしますが、同じ動きをする型もあれば、そうでない型もあり、互いの呼吸を感じつつ、お囃子の呼吸を感じつつ、物語の世界を舞うでありますね。

以前に、今回私を誘惑する美女役の佐久間君がシテの仙人をした時に、
「誘惑してあげようか?」
「お、お願いします」
という事で、私が夫人役をかって出て相舞を共演したことがありますが、彼は私の舞の袖一振りで、いちころでございました(笑)。そこが彼の舞台の面白いところ。

今度はその逆であります。
果たして彼に私こと一角仙人を籠絡する事が出来るのか、出来ぬのか。楽しみであります。

美女の舞に見とれて、、やがて舞い始める仙人ですが、その心に葛藤があるのです。

この曲の舞の面白さは、まさにそれで、龍神奪還の使命を帯びた美女に酒を勧められ、舞に魅了され戒めを破って行く男の性とその先に待つ破滅と愚かさ。それが裏側にあります。
仙人も普通の人間のように弱いところがある。
そこに役として、共感出来るところがあります。
どこか「俊寛」の頑なさに通じるところがあるようにも感じます。


しかし、その頑なさがほころびて行くところをそのまま芝居で演じないで、舞に昇華している。
これぞ能の舞の面白さでであります。
その表が、裏になり、裏が表になりと万華鏡のように、うつろいながら相舞が出来たらなあ。
この曲の見どころは、それに尽きるのではないかと思います。

キャストとしては、前回誘惑したものが誘惑され、されたものが誘惑する。
これまた表と裏。
そんな事を考えながら、臨んでおります。

それにしてもこの仙人は、人によってとらえ方は様々だとおもうのですが、
いい奴に思えて仕方がない。
そして、宿命つけられた人生を歩み、戒律的な暮らしをするも、
時折短気をおこし、つまらぬトラブルを起こす。
でも、意外に純情だったりして、憎めない。

なんか共感してしまうのですね。こういう人。案外身近にいませんか??

さて、6夜連続できたお話も、明日で第一クール終了。
お楽しみに。

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詳しくは劇場ホームページへ。








角の生えた仙人 憎めない男 一角仙人5

9月28日の所沢能の話題を毎日連載中です。
480ikkaku

能の中には、結構異形の生物や現存しない者達が登場する。
その筆頭は、やっぱり鵺(ぬえ)だろうか。
頭は猿 足手は虎 尻尾は蛇。

いわゆるキメラ生物である。
遺伝子研究の進む現代において、イギリスでも密かにキメラ研究をしているチームがあると話題になった。
今やイギリスに限らず、世界中で研究が進むと聞く。
一つの個体に違う遺伝子情報が混じった生物。いわゆる混合生物である。

通常免疫システムがあるから、違う遺伝子情報を持つ者は、外敵と見なされ拒絶反応を起こす。
なので異種の生物は、引っ付かないとされるが、ところがどっこい、この免疫系システムの抜け道を使ってハイブリッド種を作る禁断の研究がされているのである。

日本に限らず、海外の神話世界にも異形の者達が、数多く登場し、ある時は神として語られることすらあるのだから、人がその研究に行きつく事は仕方がないのことなのか。
すでにゲームやアニメや映画の世界では、こうしたキメラやミュータントは沢山登場するが、それが現実なってきたのである。
生命の秘密を知るという好奇心の為に、神のみぞ行える生命誕生の秘儀に手を出そうとしている。
それが我々がどこから来たかを知る為に必要なのか。、また、多くの同胞を救う為に必要なのか。
実に悩ましい話である。

しかし、本来生物が持つ免疫系システムは、他を拒み、通常は決してキメラは生まれない。
それを本能的に知っているからなのか、我々はキメラのような異形の物を疎み畏怖してきた。
強ければ神となり、弱ければ頼政に討たれた鵺のような化物になる。
日本では、神代の時代からこうした不思議な者達が登場するので、案外これらに鷹揚であるかな。

さて、能の一角仙人も額に鹿の角を生やしている。
「鹿の胎内に宿り出生せし」と、冒頭のセリフでしらっと語られる。
何故彼が鹿の胎内に宿ったかは、能では語られない。

もともとは紀元前のインドの話であり、中国に渡り、日本にまで伝わって来た話だとういう。
神聖なる聖者の漏精を水と共に鹿が呑んでしまったという事が誕生の秘密らしい。
なんかインドっぽい。

ちなみに原典といわれるインドのマハーバーラタでは、なんと一角仙人は、鹿の角の生えたうぶな少年だとか。
ちょっとかわいい。妖精王のプックみたいだ。

で、せっかく修行して力を得たのに、女性に迷って力を失う。そんな話だそうだ。
うぶな少年が色香に迷うのは、絵的には許せる気がするが、教訓として書かれたのかな。

しかし、彼は、生れた時から仙人になるしか道はなかったと思う。
額に角を持つ子供は、きっと人里では暮らせないもの。
それでも悪の道に走らずに、仙人修行に励んで、人里から離れた高山で霞を食べて孤独に暮らし、女性とも交わらずに、ついに神通力を身につけた。
それなのに・・・。
なんか憎めない男である。

さて能の物語としては、細かい説明はされずに、雨の龍神を、一角仙人が捕まえて封じ込めてしまった。
そして、下界の人の住む国に長らく雨が降らなくなり、ついに龍神を奪還すべくお色気作戦が決行される。
こういう事になっております。


日本版の原典のひとつ太平記では、まんまとお色気作戦は成功し、女性に触れて通力を失った仙人は弱って死んでしまいます。哀れ。
もう一つ、今昔物語では、通力を失い力を力をなくして、龍神は喜びの雨を降らせ、仙人は、よたよたのバビル2世のヨミのように一気に老いてしまって、それでもその女性をヨロヨロしながら都まで負ぶって行く。
都の者に笑われても、きっちりと送り帰す、なんともジェントルないい男であった。


へー。能にもそんなくだけた話があるの?
そう思った皆様。
実は能の見どころは、そういうところではないんですねー。

続きはまた明日。


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角の生えた仙人(一角仙人)to猩々&まいまいカタツムリ 4

9月28日の所沢能のお話を毎日連載中です。
意外と続くね(笑)

子供の頃理科の授業で観察したカタツムリを漢字で書くと蝸牛になる。
で、狂言「蝸牛」は、カギュウと読むんだよね。
これでカタツムリと現代人に読めるかね。

それにしても面白い狂言である。
太郎冠者というのは、狂言の中ではちょっとおまぬけな家来役として登場し、そのおまぬけ故に事件を引き起こす道化役である。
この狂言は会話劇なので、言葉もわかり易いし現代のコントに通じるところがあるので大いに楽しんでいただきたい。

この狂言、実は2度ほど私はしたことがある。
能の演者は専業制だから、私のような能のシテ方は、囃子やワキ方や狂言を公演でやることはないし、やってはいけない。
ただし、乱能(らんのう)という、滅多にはないお祝いの会で、演者が配役を変えてお遊びをすることがある。
今風に言えば学芸会のようなものだが、それはそれで真面目に稽古をして舞台に上がる。

そういう趣旨の会で、蝸牛の主人役と太郎冠者役をそれぞれさせていただいた事があるので、狂言の事には疎い私も、この曲の事は何となくわかるのである。
しかも、その時指導して頂いたのは、今回出演する山本泰太郎・則孝兄弟の亡き父上、則直先生であった。
なんとも懐かしい思い出である。

さて、この曲のシテは、幻術使いの山伏である。
山伏と云うのは、役行者を開祖と仰ぎ、山に伏して修行する者達であり、超自然的な力を得て人々を救済する者達であるが、中には、その力を良からぬことに使うものもいたのだろう。
この曲では、山伏がその力をちょっとしたいたずらに使うのであるが、これがとっても面白い。

で、あまり筋を説明しない方が舞台を楽しめると思うので、直接是非ご覧頂きたいと思います。

ちなみにこのこの話の中で「でんでん虫」という言葉が出てくるが、カタツムリをデンデン虫と云ういうのは、ずいぶん昔からあったんだね。
もともと京都付近の方言とか。
マイマイツブリともいいましたよね。
舞い舞いなんて、実に良いネーミングです。
調べてみると面白そうだ。

あー、エスカルゴが食べたくなった(笑)

この曲のストーリーも、そもそもカタツムリを捕りに行くことから話が始まるが、それは太郎冠者の主人が、カタツムリを長寿の祖父の更なる寿命長久を願って献上する為であり、すなわちこれを食べれば寿命が延びると信じられていたからであり、滋養強壮に効くからである。

つまりカタツムリは縁起物であり、それゆえこの曲もちょっとめでたい曲と云われる。
もともとカタツムリは陸に住む貝の一種だから、今でこそその辺にいるモノを捕って食べるかどうかはわからないが、昔は結構食していたのだろう。
なんせエスカルゴは食べるのだからね。

本物のカタツムリ見たことない人いるかしら??
いたら、太郎冠者と同じです(笑)
きっと楽しく舞台を見れるでしょう。
デンデンムシムシカタツムリ♪

お子様にもお薦めです。

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さて明日こそ、一角仙人のお話に続くか?








角の生えた仙人(一角仙人)to猩々3

昨日に続きもう少しだけ猩々の話を。
この曲は、謡曲を習い初めの初心者が比較的早く練習する演目で、謡いだけだと15分位だろうか。
能にして30~40分という、能にしては、比較的短い演目だ。
今回は夕方からの公演で、猩々ほか狂言と一角仙人と3曲を一挙上演なので、一つ一つはすっきりとした演目になった。

猩々webIMG

しかし、この演目の装束は、豪華である。
この写真と同じものは使わないが、足元のハカマは、半切れという大きな能用の物で、この曲の時は青海波の金糸を織り込んだ贅沢なものを使うことが多い。なにせ波を渡って来る波の精霊なのだから。

そして、これまた緋色に青海波紋の入った金箔を擦り付けた着付けに、紅色の唐織である。
なにせ重い習いの演目であり、若い頃は、道成寺の前に上演する演目で、初演の時は、素晴らしい装束を着せて頂いた記憶がある。能の装束としては、唐織は、もっとも華やかな装束なので、今回も楽しみである。

また、能の歩みは通常は、すり足だが、この乱は、ミダレ足という、足を舞台から離す歩みが特徴。
そして、波のようにうねりと緩急があるお囃子の演奏と掛け声が、何と言っても乱の面白さであり、難しさでもある。
その囃子で舞うまさに「乱 ミダレ」た面白さの舞が、乱の真骨頂であろう。

今回は観世喜之・喜正師匠の久しぶりの共演の乱だから、これも楽しみにしていただきたいです。

詳しくは劇場ホームページへ。

さて明日こそ、一角仙人のお話?


角の生えた仙人(一角仙人)to猩々2

夏最後の浴衣浚いがあり、これで公式には浴衣も着納めかなあ。
でも、まだ稽古場は暑いから暫くはまだ浴衣もありか。

さて昨日に続きミューズ所沢公演の話題。
考えてみると今回は、猩々という架空の生き物。そして、一角仙人というこれまた架空の人物
そして、狂言は蝸牛は、あの草の中の カタツムリ に化けた山伏のお話。
ちょっと寓話的な演目が並びました。

猩々(しょうじょう)は、揚子江のほとりに住むという赤い顔した赤い髪の毛の生き物。しかも酒大好き。
魔法の酒壺を持っているのですね。
能では、赤い色と云わず、緋色といい高貴でめでたい色とされています。
猩々webIMG

これずいぶん昔の写真ですが、スペイン公演の時のかな。この時は、ほんとに真っ赤な面でした。
猩々の面にもいろいろあって、でもどれもちょっと笑みを含んだ顔。
で、通常は中之舞というのを舞うのですが、これが重い習いになりますと、乱となりまして舞が変り、波間を漂う 妖精のような舞になりまして、外国の方がみるとダンスのように見えるそうで、海外公演の時も評判が良かったようです。
この猩々が2匹出てくるのが、双ノ舞でして。
互いに能面で視野がきわめて狭いので、その中で違う舞を舞うのが見どころになります。
いわゆる祝言曲として、猩々の謡は、一般の公演の最後にも附祝言として短い一節を謡って終わることがあるのですが、この曲の最後の言葉は「尽きせぬ宿こそ めでたけれ」
家の栄をめでたく寿いでいるのですね。

劇場の20周年公演にはぴったりの演目です。

さて、今日は一角仙人の話が飛んでしまいました。
続きはまた明日。

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nohgakuhanabutai

観世流能楽師(能楽のシテ方 演者) 日本能楽会会員(重要無形文化財 能楽(総合認定)保持者 幼少より子方を勤め、東京神楽坂の矢来能楽堂で修行し2千以上の能楽公演・講座・コラボ舞台に出演・制作。毎月、矢来能楽堂定期公演に出演。 能楽重習曲、乱・石橋・道成寺・望月・安宅・砧・翁など披瀝。 また東京中野区・練馬区・所沢市・秋田県を中心に稽古と普及活動をしている。(公社)観世九皐会 能楽協会所属 日大芸術学部卒業 
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