今週末日曜日は、定期公演で「歌占うたうら」の曲の仕舞を舞います。
この曲、先日の「弱法師」と同じ観世元雅作ということですが、まあ、この人の作品は、ほんとヘビーです。
人の運命や死を通じて、考える問いかけをしてくる。そんな曲目ばかりが並びます。
この曲は、伊勢の神主が諸国を巡るうちに頓死し、三日後に蘇るという奇妙な話です。
やがて占いをしながら、帰国の途に就こうと思っているところで、父である自分を探しに来た生き別れた息子と再会する。
そして、地獄の曲舞を披露するという下りで、この舞が舞われます。

さてその舞の詞章を例により私なりに超訳したのがこれ。
「人はいつかは死に、この世で持ったものは、物であれ情であれ荼毘に焼かれ、結局は冥途で閻魔大王から呵責の言葉を聞くのだ。
時の過ぎ去った今、まるで夢のようにぼうっといているのだ。誰がが後に残り自分は死んでゆく。誰もとどまることは出来ず、それは誰一人変わりがないのだ。
経文に説かれたように我々が輪廻転生する三つの世界は、まるで火に焼かれた家のように不安であり、天人や神仙であっても死の苦しみを受けるのだ。まして下劣で罪作りな者が、悪の報いを受けるのは当然で、多くの人間は、受けなければいけない死の苦しみの他に、さらに色々な苦しみの種、悲しみの種を作るのだから、死後受ける罪の軽いはずがない。
こうして落ちる地獄には。
ざんすい地獄。臼の中で身を砕かれ血が辺りに飛び散り、しかもこれが、一日の中に生かしては殺し殺しては生かしと苦しみを繰り返すのだ。
剣樹(けんじゅ)地獄では、剣の樹に登れば体が節々でばらばらに裂け落ち、剣の山を登れば体がばらばらになってしまうのだ。
石割(せきかつ)地獄は、両崖に大きな石があって罪人を打ち砕き、次の火盆(かぼん)地獄は、頭に火を戴き、全身から炎が噴き出すのだ。またある時は、焦熱地獄大焦熱地獄で炎に咽び、またある時は、紅蓮地獄大紅蓮地獄で氷に閉じられ、またある時は鉄の杖で頭を砕かれ、火焔で足を焼かれたりすのだ。そして飢えれば鉄の玉を飲まされ、喉が渇けば銅の汁を飲まされるのだ。地獄の有様はこのように数えきれないほどあるのだ。
確かに、餓鬼道、畜生道、修羅通の苦しもひどいが、しかし、自分たちの堕ちる地獄の苦しみ程はひどくないのだ。
しかし、これも我が身より作り出した罪であるから、だれが責めるのではない、自分のわが心が鬼となって身を責めて、このような苦しみを受けるのだ。
まことに夕暮れの月に浮雲のかかる様は、人間の迷いを示しているようだ。」

とまあ。言葉を読むだけでもとにかく痛そうであります。
行きたくないなーこんな所には。
悔い改めて身を清らかに行いを正して生きて行きますので、勘弁してください!これからは、いい種蒔きます!
と昔の人も思ったに違いありません。
私も思います。ほんと勘弁して下さい。
やっぱり最後は愛であります。

仕舞で演じる型では、基本的な差し込み開きといった型の組み合わせで舞うので、痛そうそうとか苦しいそうな演技とかは一切ないので、観ていても詞章を知らないと、全く怖くないのでありますが、ひとたび言葉がわかると、やっぱりこれはホントに地獄の曲舞であります。

これを舞うのも何かの巡り合せ。頑張って勤めます。
まだ定期公演チケットあるようです。
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