能楽夜ばなし

能楽師遠藤喜久の日常と能のお話

杜若

御礼 杜若

能楽夜ばなし写真館⇒5月16日更新 業平の見た花 かきつばた

昨日は九皐会定期公演ご来場ありがとうございました。
このところブログで書いておりました能「杜若」終了しました。
終わってみると1時間20分くらいかかったようでした。
同時上演の蝉丸も90分超えましたので、2番ともたっぷりお楽しみいただいたかと思います(笑)
杜若はいわゆる三番目物ですが、中入りしない単式夢幻能で,演じている方としては2時間の野宮より出ずっぱりのこっちの方がしんどかったりしますね。
今回面装束ともに少し中性的なイメージでまとまりましたが、「井筒」と同じような感じになってしまったかなあと。
特に長絹はこれを使うと少し男性的な感じになるのです。クセ舞で伊勢物語を語る場面は業平とイメージが二重写しになるので業平格子文様をよく使うのです。能の台本では高子后の装束という設定なのでもう少し女性的な装束も候補にあがっていたのですが、今回はこちらになりました。曲線のないデザインがきっちとした格調高さを醸し出します。縫箔は矢来名物の杜若の物を拝借しました。初夏のイメージっていうのは装束的には意外と少なくて定番に落ち着きました如何でしたでしょうか。
また再演の機会あれば今度は違うのを試したいです。

一夜明けて週末の武田神社の一角仙人の申合せもあり、こちらは昨日の序の舞とうってかわって「楽」なので足拍子も多く、特に曲柄的に遊興的というか魅惑の舞ですので大分感じが違います。これはこれで相舞なので神経使いますが、楽しいです。お近くの方は是非。*武田神社薪能当日JR中央線で工事あり道路も混雑が予想されます。ご注意下さい➡JR

さて昨日の記録写真の速報が来ましたのでのせておきます。
ありがとうございました。
杜若2-1mae1


杜若1-1noti1

追記
舞台最初の場面は三河の国八つ橋の杜若の群生する沢辺。
ちょうど能舞台の橋掛りが、その橋であり客席のお客様のいる場所がまさに杜若の花咲く沢辺の感じになるのです。しんと張りつめた客席の雰囲気が初夏の生命力を感じさせる沢辺のようでした。
お客様は神様です ならぬ お客様は杜若の花です て感じがしましたね。感謝。
当日は自由席に若い学生さん?が沢山いたのだけどどんな感想を持たれたか気になるところです。
また感想などお聞かせください。コメント欄でもめーるでも。よろしくお願いします。

伊勢物語の世界を能で楽しむ 杜若

夜ばなし写真館→五月五日更新

連休は皆さんお出かけですか?私は稽古や雑事でずっと東京ですね。
三河には行けないかな。どなたか杜若の写真送って下さいませ!

さて5月の能、杜若「かきつばた」の左脳的解説です。

東国行脚の僧侶が、三河の国あたりで杜若の花が咲き乱れている沢に佇み見とれていると、一人の若い女が声をかけてくる。
「お坊さん、その沢で何してるの?」
僧侶は女に言葉を返す
「いや、あんまり杜若の花が見事なもので見とれてしまってね。ここはいったいどの辺りですか?」
女は、ここが伊勢物語に読まれた八つ橋の杜若の沢であり、「かきつばた」の5文字を句の頭に読み込んで在原業平が歌を詠んだ故事を語る。
そして、僧侶を自分の庵に案内して一夜の宿を貸す。
その夜、女は在原業平と高子の后の舞装束を身に着け、自分は杜若の精霊だと名乗って僧侶に伊勢物語を舞い語る。そして、業平は歌舞の菩薩の化身であり、その歌によって草木である杜若の精霊も成仏したといって消え失せる。すべては僧侶の見た幻だったのか、現実だったのか・・・・。

この能は、僧侶が出会った若い女が、実は自分は杜若の精霊だと名乗り(*高子の后だとは名乗らない)、しかし、なぜか業平と高子の衣装を形見として持っていて、それを着て舞い語り、その姿はあたかも高子であり、業平のようであり、それがさらに歌舞の菩薩の様相を呈して、最後は杜若の草木の精霊として初夏の朝焼けの訪れとともにたおやかな姿を見せて成仏して昇天するという、実に不思議な展開なのです。

現代劇のような理路整然とした人物キャラクターではないので、つかみどころがなく、初めてこの能を観る方は、杜若の女は綺麗だけどよくわからないと思われれるかもしれません。
女が業平の恋人二条の后高子の霊だとはっきりと名乗ればわかりやすいのですが、そこはそうせずに杜若の精と名乗る。
普通の能の物語構成ならば女は高子の后の霊であり旅僧に弔いを求めますが、この能の女は旅僧に回向は頼まず業平よって成仏したことを語り自己完結して消え失せる。
しかし杜若の花こそは二条の后の象徴でもあるわけで高子の妃が二重写しになっている。

あえてキャラクターを特定せずに幾重にもイメージを重ね合わせる事によって出てくる多様なイメージ。その中心は「杜若」に象徴される「花」のイメージ。
杜若の花、若い女、杜若の精霊、高子の后、業平、伊勢物語、陰陽の神、歌舞の菩薩。
それは、可愛らしく、美しく、高貴で、色もあり、荘厳で、神々しくもあり、しかし、初夏の夢のような青紫の「花」でもあり、そこに「恋」という要素を下味として加えて次々に残像を残しながら複雑に変化して、最後は草木国土皆成仏して完結します。
この曲のシテのどこか掴みどころのないところこそが、この曲の魅力と言えるのではないでしょうか。

この能の原典になっているのが伊勢物語です。
業平と高子の伊勢物語の世界を能で楽しむ。まさにそんな曲ではないでしょうか。

というわけで、伊勢物語を読んでからこの能を観ると間違いなく面白さ倍増なのですが、およそ聞き及びたる通りを、少しだけ触れておきます。

伊勢物語は平安時代に書かれた125段からなる歌物語。
「昔男ありけり」で各段の冒頭が始まる短編の恋物語。
各段に歌が詠まれているのが特徴。
作者不明、成立も千年以上前。実在の人物、在原業平がモデルとされる。
この在原業平さんは、平城天皇の孫、桓武天皇の孫にあたる皇族でしたが、臣籍降下して在原姓を名乗る。
伊勢物語にも様々な女性が登場しますが、この能に登場するのは、藤原高子。
伊勢物語の最初の方に登場します。
藤原摂関家の血筋で、清和天皇のお后候補であったにもかかわらず、五節の舞の時に業平に見初められて恋仲になる。
(能ではこの話にかけて、杜若の女がその時の二人の装束を形見として持ち合わせ、自ら着て現れ後半を舞語る。それは何と言っても夢幻の精霊の為せる業ですから、ディズニーの魔法使いみたいになんでもありなわけです)

伊勢物語(5段.6段)ー高子は深窓の令嬢で、皇太后の屋敷に住んでいた。そこへ人目を忍んで男は通ったが、やがて見張が立つようになって逢えなくなる。しかし、とうとう女を盗み出す。しかし、結局は女は連れ戻されてしまった。
(予定通りこの先、高子は清和天皇の后となる。)

この後、伊勢物語の主人公、昔男(業平)は東に下る。
その原因は書かれておらず定かでないが、高子とのスキャンダルで業平は藤原摂関家と折り合いが悪くなったのだろうという説がまことしやかにある。
そして旅に出た7段、そして8、9段の様子が能のクセ舞にも読み込まれています。
なので伊勢物語を知っていれば、能の詞章にイメージが広がってゆくわけです。
そして9段目が三河の国八つ橋(今の愛知県知立市)の場面。
杜若の群生するところで読んだ
「唐衣着つつ馴れし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思う」の歌の場面が、能「杜若」 の冒頭の旅僧が八つ橋にさしかかるシーンと重なります。
昔男の歌は、おそらくは都に残した高子を思い、慣れ親しんだ妻を都に残してこんなところまで来てしまった旅の寂しさを思う恋人への恋慕の歌です。

能では、この八つ橋の場面を台本の導入部に据えてイメージを重ねて旅僧が登場させ、杜若の花のイメージに女性を重ね合わせて里女が現れ、さらに高子の后、業平とイメージを連鎖させてゆきます。

能の中盤にある地謡のクリ地は、15段。続くサシは1段の初冠、そしてクセの冒頭は7段、8段と原典の言葉が歌い込まれ、さらに八橋の9段、クセ謡いの後半には17段ー人待つ女(井筒の女)、45段ー物病みの女、64段ー玉簾の女と、業平の他の恋人たちの名もチラリと登場し、そうした女性達も業平によって救われたという業平信仰のエッセンスも加えてクセの地謡いを謡あげます。
さらに台本には4段の「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身は一つもとの身にして」
60段の「さつき待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」と、全編に伊勢物語のエピソードと歌が散りばめられているのです。伊勢物語ファンにはたまらない作品なのです。

まるで言葉とイメージで出来た万華鏡を覗くような感じですが、舞台の進行は煌びやかな舞装束を着て現れた女がひたすら舞い続けるので、言葉をよく聞いていないと真っ直ぐに通り過ぎてしまうかもしれません。
基本的には言葉によってイメージの変化はもたらされるかと思います。
序の舞も太鼓の序の舞であり、同じ伊勢物語を題材にした秋の「井筒」とくらべるとイメージがずっと明るい。まさに初夏の杜若ですね。

というわけで左脳的な解説はここまで。
ちょっとわかり辛かったですね。すみません。
予備知識が沢山あればあったで能の見方は変わるし面白いのですが、なくても感じていただける舞台を勤めたいと思います。

ここからは右脳解説に切り替わります。
舞台進行では、唐織の女姿で現れた里の女が、自らの庵に僧侶を招き入れて装束を変えて再登場しますが、この衣裳替えを舞台上でするのも能独特です。やがて業平の冠と高子の舞装束を身につけた、どこか中性的な雰囲気の姿で歌舞の菩薩のように舞語ります。金糸を織り込んだ紫の長絹が視覚的な美しさをもたらします。この曲は、いわゆる二段クセといって舞い語る部分が長く、井筒や野宮と違い謡いだけを聞かせるのではなくシテは舞い続けます。まさしく歌舞の菩薩というにふさわしく動きのある舞台です。その舞いと伊勢物語が散りばめられた詞章と四拍子の囃子が重なって中盤からは目にも耳にも華やかな舞台を作り出します。

というわけで伊勢物語の世界を耳と目で楽しんでいただけたらと思います。
連休なんで今日はいささか理屈っぽく長くなりました。
言葉にするといろいろありますが演者としては観念的になりすぎずお話したことは全部忘れてスッキリと舞えたらと思います。
宜しくお願いします。
公演情報➡ホームページ








レッドリスト 杜若

来月の公演の能「杜若」の花の写真を撮りにいこうと思ったが、まだわずかに季節前なので叶わず、ネットで検索していたら思わぬものに出会った。
レッドリストという言葉はご存知であろうか?
絶滅の危機に瀕している世界の野生生物のリストだそうである。
なんと杜若カキツバタも絶滅危惧種の指定を受けているのである。ビックリ。

能の「杜若」の背景はかつて自生の杜若が咲き誇った八橋であるが、現代では日本からは沼地が減少し絶滅の危機に瀕しているというのである。
八橋からほど近い愛知県刈谷市の杜若が国の天然記念物になっているのでこのページのカキツバタを見てかつての八橋をイメージしていただこう。➡t刈谷市観光協会

実に美しい。
こんな沢辺に一人佇めば草木の精霊を感じる事は自然である。
例の如く能の舞台には杜若の花のセットは出てこない。
観る者演じる者の心の中に咲いているのである。
もっといえば脳の記憶の中に杜若の映像がなくては、花も咲かないであろう。
というわけで、ゴールデンウイークにでも直接見に行っていただけたらいいが、そうもいかない人はネット散歩して花見していただけたらと思うのである。


(いずれがアヤメ カキツバタという言葉は、どちらも美しく見分けがつけづらいということだそうだが、なるほどよく似ている。花の根元の白い線がスッと入っているのが簡単な見分け方だそうで、アヤメも花菖蒲もみなよく似ているからなかなか難しい。ちなみに、この言葉は能「鵺」に出てくる源頼政の鵺退治に由来するとかで、これも面白いことを知った)


しかし今やその杜若もレッドリストである。
杜若を検索すると➡検索

今でさえ群生する杜若を鮮やかにイメージするのは難しいのに、近い将来、カキツバタを見たことのない子供達の前で杜若の精霊を演じるのは厳しいなあ。。。
しかし、これは全て人類の繁栄と比例しているのだから何とも悩ましい問題でありますね。







杜若

4月13日更新⇒能楽写真館

桜も散り始めますと、5月も近づき杜若の季節になってまりますね。
というわけで、5月の観世九皐会の定期公演「杜若」の宣伝です。
この日は、平安時代の琵琶法師・蝉丸を帝の子をして創作された能「蝉丸」と
私がシテを勤めます三番目物の優美な演目「杜若かきつばた」の2番立てでございます。
また、演目に関しましてはおいおいこのブログでも書いてゆくかと思いますが、
まずは本日は告知まで。
番組は観世九皐会のホームページに載っています。チケットの申し込みは観世九皐会事務所にお願い致します。
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