道森3
土日と参加した週末2公演も終わりました。
昨日の通盛は、やはりクセの向合いが独特でした。本番はお互いに、面装束をつけて居るので、すっかり役に入ります。通盛がりりしく、その立ち去る後ろ姿に永遠の別れがありました。現代演劇のようにまず感情が先にあり、100パーセント感情移入するというのとは、能の演技は違うと思いますが(少なくとも私は違います)、ではただ型通りかというと、それとも違い、役の小宰相局の女の部分は確かにしっかりあって、役と演じてる自分とか感情とか理性とかが、何層かの階層が同時にあるというか、不思議な気持ちを経験します。
普通の芝居でも、そういう階層を持つ感覚はあると思いますが、それとも違うのですね。能の台本や演出、また演者が能面を掛けるというのが、感覚的な違いをもたらしている要因であることは間違いないと思います。
この役は何度かしておりますが、今までは、お相手がずっと年上の先生だったりしたせいか、あるいは、経験不足でそんな心の動きを感じる余裕がなかったのかも分かりませんが、今回は、通盛の顔に惚れ惚れいたしました。とはいってもこれは能面ですが、まさにその夜のリアリティーがある感じでした。シテは中所さんでした。
通盛1

もうひとつ、ツレは中入りせずに後見座に後ろ向きにくつろぎますが、そうすると、ずっと中入りの間狂言の語りを聞くことになります。通常は、シテもツレも幕に入ってしまいますから、ワキ以外の役がこの間語りを聞くのは珍しいのです。通盛と局の二人の馴れ初めから最後までを背中で聞きながら、思わずシオリ(泣くしぐさ)をしたくなりました。なんとも不思議な気持ちなのです。戦争で自分が死んだ後に、自分の物語をすぐそばで聞かされるというか。
まるで幽霊になって、生きている人の会話を聞くような感じです。(実際、舞台上ではそういう役どころですが)
そして、ワキに弔われて再び、舞台に入るのですが、これはやっぱり弔ってくれた僧に感謝の念が出てきます。
そして、もう一度今度は通盛が若い姿になって通盛の視点で別れの場面、戦の場面が語られる。
姿を変え、語り手が変わりながらも、幾度も語られる二人の話。不思議な余韻の残る作品でした。
まずはありがとうございました。

追記 最後に同幕(連れ添って幕に消える)で入るがとてもよくて、最後は一緒になったんだなあ、という感じがありました。

このところ同門諸氏の舞台が続きます。
今週は、師匠の天鼓の地、囃子の卒塔婆の地、また道成寺の後見と続きますので、心して臨みたいと思います。よろしくお願いします。

そうそう今日は父の日でしたね。今だ現役を続ける父に感謝し、兄から釣ってきた鯛をもらい、etc..
喜び多い日でもありました.大感謝。