能楽夜ばなし

能楽師遠藤喜久の日常と能のお話

舞台前記

伊勢物語の世界を能で楽しむ 杜若

夜ばなし写真館→五月五日更新

連休は皆さんお出かけですか?私は稽古や雑事でずっと東京ですね。
三河には行けないかな。どなたか杜若の写真送って下さいませ!

さて5月の能、杜若「かきつばた」の左脳的解説です。

東国行脚の僧侶が、三河の国あたりで杜若の花が咲き乱れている沢に佇み見とれていると、一人の若い女が声をかけてくる。
「お坊さん、その沢で何してるの?」
僧侶は女に言葉を返す
「いや、あんまり杜若の花が見事なもので見とれてしまってね。ここはいったいどの辺りですか?」
女は、ここが伊勢物語に読まれた八つ橋の杜若の沢であり、「かきつばた」の5文字を句の頭に読み込んで在原業平が歌を詠んだ故事を語る。
そして、僧侶を自分の庵に案内して一夜の宿を貸す。
その夜、女は在原業平と高子の后の舞装束を身に着け、自分は杜若の精霊だと名乗って僧侶に伊勢物語を舞い語る。そして、業平は歌舞の菩薩の化身であり、その歌によって草木である杜若の精霊も成仏したといって消え失せる。すべては僧侶の見た幻だったのか、現実だったのか・・・・。

この能は、僧侶が出会った若い女が、実は自分は杜若の精霊だと名乗り(*高子の后だとは名乗らない)、しかし、なぜか業平と高子の衣装を形見として持っていて、それを着て舞い語り、その姿はあたかも高子であり、業平のようであり、それがさらに歌舞の菩薩の様相を呈して、最後は杜若の草木の精霊として初夏の朝焼けの訪れとともにたおやかな姿を見せて成仏して昇天するという、実に不思議な展開なのです。

現代劇のような理路整然とした人物キャラクターではないので、つかみどころがなく、初めてこの能を観る方は、杜若の女は綺麗だけどよくわからないと思われれるかもしれません。
女が業平の恋人二条の后高子の霊だとはっきりと名乗ればわかりやすいのですが、そこはそうせずに杜若の精と名乗る。
普通の能の物語構成ならば女は高子の后の霊であり旅僧に弔いを求めますが、この能の女は旅僧に回向は頼まず業平よって成仏したことを語り自己完結して消え失せる。
しかし杜若の花こそは二条の后の象徴でもあるわけで高子の妃が二重写しになっている。

あえてキャラクターを特定せずに幾重にもイメージを重ね合わせる事によって出てくる多様なイメージ。その中心は「杜若」に象徴される「花」のイメージ。
杜若の花、若い女、杜若の精霊、高子の后、業平、伊勢物語、陰陽の神、歌舞の菩薩。
それは、可愛らしく、美しく、高貴で、色もあり、荘厳で、神々しくもあり、しかし、初夏の夢のような青紫の「花」でもあり、そこに「恋」という要素を下味として加えて次々に残像を残しながら複雑に変化して、最後は草木国土皆成仏して完結します。
この曲のシテのどこか掴みどころのないところこそが、この曲の魅力と言えるのではないでしょうか。

この能の原典になっているのが伊勢物語です。
業平と高子の伊勢物語の世界を能で楽しむ。まさにそんな曲ではないでしょうか。

というわけで、伊勢物語を読んでからこの能を観ると間違いなく面白さ倍増なのですが、およそ聞き及びたる通りを、少しだけ触れておきます。

伊勢物語は平安時代に書かれた125段からなる歌物語。
「昔男ありけり」で各段の冒頭が始まる短編の恋物語。
各段に歌が詠まれているのが特徴。
作者不明、成立も千年以上前。実在の人物、在原業平がモデルとされる。
この在原業平さんは、平城天皇の孫、桓武天皇の孫にあたる皇族でしたが、臣籍降下して在原姓を名乗る。
伊勢物語にも様々な女性が登場しますが、この能に登場するのは、藤原高子。
伊勢物語の最初の方に登場します。
藤原摂関家の血筋で、清和天皇のお后候補であったにもかかわらず、五節の舞の時に業平に見初められて恋仲になる。
(能ではこの話にかけて、杜若の女がその時の二人の装束を形見として持ち合わせ、自ら着て現れ後半を舞語る。それは何と言っても夢幻の精霊の為せる業ですから、ディズニーの魔法使いみたいになんでもありなわけです)

伊勢物語(5段.6段)ー高子は深窓の令嬢で、皇太后の屋敷に住んでいた。そこへ人目を忍んで男は通ったが、やがて見張が立つようになって逢えなくなる。しかし、とうとう女を盗み出す。しかし、結局は女は連れ戻されてしまった。
(予定通りこの先、高子は清和天皇の后となる。)

この後、伊勢物語の主人公、昔男(業平)は東に下る。
その原因は書かれておらず定かでないが、高子とのスキャンダルで業平は藤原摂関家と折り合いが悪くなったのだろうという説がまことしやかにある。
そして旅に出た7段、そして8、9段の様子が能のクセ舞にも読み込まれています。
なので伊勢物語を知っていれば、能の詞章にイメージが広がってゆくわけです。
そして9段目が三河の国八つ橋(今の愛知県知立市)の場面。
杜若の群生するところで読んだ
「唐衣着つつ馴れし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思う」の歌の場面が、能「杜若」 の冒頭の旅僧が八つ橋にさしかかるシーンと重なります。
昔男の歌は、おそらくは都に残した高子を思い、慣れ親しんだ妻を都に残してこんなところまで来てしまった旅の寂しさを思う恋人への恋慕の歌です。

能では、この八つ橋の場面を台本の導入部に据えてイメージを重ねて旅僧が登場させ、杜若の花のイメージに女性を重ね合わせて里女が現れ、さらに高子の后、業平とイメージを連鎖させてゆきます。

能の中盤にある地謡のクリ地は、15段。続くサシは1段の初冠、そしてクセの冒頭は7段、8段と原典の言葉が歌い込まれ、さらに八橋の9段、クセ謡いの後半には17段ー人待つ女(井筒の女)、45段ー物病みの女、64段ー玉簾の女と、業平の他の恋人たちの名もチラリと登場し、そうした女性達も業平によって救われたという業平信仰のエッセンスも加えてクセの地謡いを謡あげます。
さらに台本には4段の「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身は一つもとの身にして」
60段の「さつき待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」と、全編に伊勢物語のエピソードと歌が散りばめられているのです。伊勢物語ファンにはたまらない作品なのです。

まるで言葉とイメージで出来た万華鏡を覗くような感じですが、舞台の進行は煌びやかな舞装束を着て現れた女がひたすら舞い続けるので、言葉をよく聞いていないと真っ直ぐに通り過ぎてしまうかもしれません。
基本的には言葉によってイメージの変化はもたらされるかと思います。
序の舞も太鼓の序の舞であり、同じ伊勢物語を題材にした秋の「井筒」とくらべるとイメージがずっと明るい。まさに初夏の杜若ですね。

というわけで左脳的な解説はここまで。
ちょっとわかり辛かったですね。すみません。
予備知識が沢山あればあったで能の見方は変わるし面白いのですが、なくても感じていただける舞台を勤めたいと思います。

ここからは右脳解説に切り替わります。
舞台進行では、唐織の女姿で現れた里の女が、自らの庵に僧侶を招き入れて装束を変えて再登場しますが、この衣裳替えを舞台上でするのも能独特です。やがて業平の冠と高子の舞装束を身につけた、どこか中性的な雰囲気の姿で歌舞の菩薩のように舞語ります。金糸を織り込んだ紫の長絹が視覚的な美しさをもたらします。この曲は、いわゆる二段クセといって舞い語る部分が長く、井筒や野宮と違い謡いだけを聞かせるのではなくシテは舞い続けます。まさしく歌舞の菩薩というにふさわしく動きのある舞台です。その舞いと伊勢物語が散りばめられた詞章と四拍子の囃子が重なって中盤からは目にも耳にも華やかな舞台を作り出します。

というわけで伊勢物語の世界を耳と目で楽しんでいただけたらと思います。
連休なんで今日はいささか理屈っぽく長くなりました。
言葉にするといろいろありますが演者としては観念的になりすぎずお話したことは全部忘れてスッキリと舞えたらと思います。
宜しくお願いします。
公演情報➡ホームページ








レッドリスト 杜若

来月の公演の能「杜若」の花の写真を撮りにいこうと思ったが、まだわずかに季節前なので叶わず、ネットで検索していたら思わぬものに出会った。
レッドリストという言葉はご存知であろうか?
絶滅の危機に瀕している世界の野生生物のリストだそうである。
なんと杜若カキツバタも絶滅危惧種の指定を受けているのである。ビックリ。

能の「杜若」の背景はかつて自生の杜若が咲き誇った八橋であるが、現代では日本からは沼地が減少し絶滅の危機に瀕しているというのである。
八橋からほど近い愛知県刈谷市の杜若が国の天然記念物になっているのでこのページのカキツバタを見てかつての八橋をイメージしていただこう。➡t刈谷市観光協会

実に美しい。
こんな沢辺に一人佇めば草木の精霊を感じる事は自然である。
例の如く能の舞台には杜若の花のセットは出てこない。
観る者演じる者の心の中に咲いているのである。
もっといえば脳の記憶の中に杜若の映像がなくては、花も咲かないであろう。
というわけで、ゴールデンウイークにでも直接見に行っていただけたらいいが、そうもいかない人はネット散歩して花見していただけたらと思うのである。


(いずれがアヤメ カキツバタという言葉は、どちらも美しく見分けがつけづらいということだそうだが、なるほどよく似ている。花の根元の白い線がスッと入っているのが簡単な見分け方だそうで、アヤメも花菖蒲もみなよく似ているからなかなか難しい。ちなみに、この言葉は能「鵺」に出てくる源頼政の鵺退治に由来するとかで、これも面白いことを知った)


しかし今やその杜若もレッドリストである。
杜若を検索すると➡検索

今でさえ群生する杜若を鮮やかにイメージするのは難しいのに、近い将来、カキツバタを見たことのない子供達の前で杜若の精霊を演じるのは厳しいなあ。。。
しかし、これは全て人類の繁栄と比例しているのだから何とも悩ましい問題でありますね。







通盛を見る前に ちょっと長いけど日本史の勉強してください。

インフルエンザが流行っていますね。皆様は如何お過ごしでしょうか?
私は何とか今日までは風邪もひかず、通盛の申合せも終わりました。このまま無事に行けるといいのですね。

さて、通盛の物語の時代の歴史の流れがわかっていると、能もさらに楽しくなるので、一ノ谷の合戦の辺りまで、ひと通り世に知られたお話しをさせていただきます。

今回は当日プログラムの解説がないので事前に読んでいたただくといいと思います。
あらためて日本史勉強すると面白いですね。
丁度、NHKの大河ドラマが清盛のお話で、毎週楽しく見ております。まだドラマの方は保元の乱のずっと前ですね。能ではお馴染みの西行や、保元平治の乱で活躍する信西がドラマに絡んできて面白いです。この頃はまだ武士の身分が低く、清盛のお父さんが頑張っている時代です。

さて、それからポンと時間を進めます。公家同士の権力抗争に武士の源氏や平氏が巻き込まれてゆきます。しかし、武力による政治決着は武士の台頭を促します。そして保元の乱のあと信西の政治的思惑と絡み平家は源氏を凌ぐ恩賞を賜ります。
1160年の平治の乱で平家一門が台頭。謀反を起こした源義朝ほか一族は四散します。
この時、奇跡的に命を助けられた頼朝、義経が20年後の立役者となってゆきます。

1167年平清盛は、武士の出身の身でありながら太政大臣に就任し人臣を極めます。
それから10年間、平家一門の栄達は目ざましいものがありました。
しかし、打倒平家の芽は、宮中でも、また東国の武士の中でも少しずつ育ち始めていました。
娘を高倉天皇に嫁がせた清盛は、帝の寵愛を受けた「小督」を追い出してしまいます。能では、その小督に帝の使者が文を届けるというお話。
小督には娘さんがいたようですね。平家滅亡後、この娘さんは大変な位に上られますね。数奇な運命です。

ちょうど同じ頃、後白河法皇や俊寛といった反平家勢力は、打倒平家の密議を鹿ヶ谷で行います。
その謀議が発覚して「俊寛」は鬼界ヶ島に島流しになり、2年後には亡くなったといいます。
この頃、清盛の娘徳子(後の健礼門院)は、天皇の子を懐妊出産しています。清盛は天皇の外戚となって権力をさらに強めていきます。
この頃が清盛の絶頂期ではないでしょうか。

しかし、少しづつ平家の運気に陰りが見え始めます。
清盛の跡取りであった嫡男・平重盛が病気で倒れると後白河法皇は所領を没収し復権を狙います。
しかし、そうはさせじと福原(神戸)の清盛が軍勢を率いて上洛しクーデターを起こします(治承三年の政変)。
主だった公卿、院近臣を解任し(能「玄象」に出てくる藤原師長もその一人)、後白河法皇を幽閉し院政は停止。清盛の娘の生んだ子が「安徳天皇」となって即位すると事実上平家独裁政権となって六十六か国ある知行国の半分までが平家一門に独占されました。
宗盛が総帥となった栄耀栄華の頃がもしかして「熊野」との花見でしょうか。

1180年5月。後白河院第三皇子・以仁王が挙兵。
長らく平家政権にいた「鵺」退治で有名な「源頼政」も反旗を翻しますが、宇治平等院で討ち死。
似仁王の令旨を受けて同年8月には伊豆にいた源頼朝が挙兵。9月には幼少期に「実盛」に助けられていた木曽の源義仲が挙兵。10月に上洛を目指す頼朝軍と富士川で激突するも平家あっけなく敗戦。
興福寺・園城寺(三井寺)も反平家の動きに同調したため、園城寺・興福寺・東大寺を焼き討ち。
これにより平家は仏敵となりさらに追い込まれてゆきます。南都焼討の総大将は重衡。後に一ノ谷の戦いで捕虜になり、能「千手」では捕虜となった重衡と千手の短くも儚い交流が描かれています。

1181年2月。この激動の最中に清盛が病死。
1183年5月。勢いに乗る木曽義仲が倶利伽羅峠で平家軍、重盛嫡男・平維盛を撃破。
1183年6月。篠原の戦いに勝利。斎藤「実盛」は平家方として参戦。義仲軍に敗れ戦死。ここを最後の戦いと決め、老将と侮れれるのも口惜しく、若々しく戦って死にたいと髪を染めて出陣。首実験で染めた髪が洗われて白髪に変わって、まさしく実盛とわかると、かつての恩人の死に義仲は落涙したといいます。

1183年7月。ついに義仲都へ上洛。平家一門は安徳帝を伴い都落ち。以仁王の反乱からわずか3年。
20年に及ぶ平家の栄華がここに終わる。

京都を制圧した義仲であったが、都の治安を掌握出来ず都人に顰蹙をかう。
平家追討の隙をついて後白河法皇の手引きにより源頼朝軍が上洛して来る。慌てて都に戻り後白河法皇に抗議をするも頼朝軍は都へと迫る。
1183年11月。義仲は後白河法皇と決裂して軍事行動を起し法皇を幽閉。
1184年1月。木曽義仲は征夷大将軍になる。しかし、都に迫る頼朝の先発隊、源範頼・義経軍と開戦し、滋賀県大津(粟津)で「兼平」らと共に戦死。ここに木曽義仲の短い天下取りの夢は消える。
源平盛衰記では、「巴」が兼平の妹として登場する。能では女性が薙刀をふるって活躍する唯一の演目。

義仲に押され一度は九州まで落ちた平家だが、四国に上陸し屋島を拠点として勢力を回復し始める。源氏同士の抗争の間に盛り返した平家は福原(神戸)まで進出。後白河法皇は平家追討の宣旨を出し、ついに頼朝の源氏と平家の戦いの火ぶたが一の谷で切られる。

1184年2月。一ノ谷の戦い。義経の鵯越の作戦で平家敗走。「敦盛」「経正」「忠度」「知章」「通盛」ほか平家一門の多くが戦死。海に逃げた平家の戦いはさらに「藤戸合戦」「屋島」「壇ノ浦」と続いてゆく。
今回の2日間の公演では、仕舞の「藤戸」までが上演されます。

ついでですが今年の私の自主公演「遠藤喜久の会」ではこの「藤戸」を能で上演します。11月25日です。
能では習いの曲になっていて重い扱いです。藤戸の戦に巻き込まれた漁師の母と子の物語です。
是非見に来てくださいね。気が速いけどちょっと宣伝(笑)
藤戸仮チラシ表1BUROGU
さて、一気に書くと、もうずっと戦いが続いていますね。嫌ですね戦争は。
現代は税金が高くても戦争がないだけ日本はよくなっているのでしょうか。ま、だからといって税金が上がるのは賛成できませんが。そうならないでよくなる方法を考えるのが現代の政治家さんじゃないかと思うんですよね。
武力も財力も必要なのはわかりますけどね。大変なのもわかりますけどね。皆なだって大変なんです(笑)
権力を持つと人は変わってしまうんでしょうか?それじゃ800年前とあまり変わらないな。我々は。
あ、すみません。話それました^_^;

話もどして、こんな一門が滅んでゆく戦争の最中のお話が、平通盛と小宰相局の物語です。
何時別れが来るかもわからい大変な時だからこそ、人は大切な人を大事に思い一緒にいたいと強く思うのかもしれません。昨年の東日本大震災以来、そういう事を思う方が凄く増えているとニュースでやっていましたっけ。

一ノ谷の決戦前夜。通盛と小宰相は二人きりで別れを惜しみます。
戦争で皆が戦支度をしている時に、女子と別れを惜しむ事の是非はわかりませんが、ツッコミ所も沢山あるのですが、通盛さんの人間的な優しさと弱さにも共感が持てます。好きだな、こういう人。

結局この戦いで通盛さんは討ち死にし、小宰相さんも亡くなるわけで、この二人を能の中では鎮魂して成仏させています。
今回800年以上前の人を演じるのですが、人間はそんなに進化もしてないし、もしかしたら退化してるかもしれないんだけど、今を生きる自分の中で共感したり感じたりする事があります。能の演技は饒舌に多くを語ったり感情的になったりしないのですが、それだから伝える事が少ないのではなくて、それだから言葉にならない多くの思いを非言語コミュニケーションで伝えていると思います。実は、そういうコミュニケーションの情報量の方が、言葉よりずっと多いんだよね。我々は。わかる人には全部わかるというお話。


そんなわけで今回の舞台は、精一杯生きて精一杯死んで見事に成仏したいと思います。それに、誰かが何かを自分なりに感じていただけたらなあと思います。


では舞台でお目にかかりましょう。よろしくお願い致します。

通盛の話 若竹能

若竹能の通盛の公演も近づきました。2年前にツレの小宰相局をした時の記事がBlogにありますよと稽古場で見せてもらい、その時の心情を書いているので、誤字修正して再度UPさせていただきます。

《以下以前のBlogから》
「平家物語を読むと、平通盛(みちもり)と小宰相局の馴れ初めから、局の入水までが描かれています。
宮中一といわれた美人に恋をした通盛が、恋文を出し続け、ようやくその恋が実り、幸せをつかんだ矢先に、源氏との争いで通盛はあえなく戦死。局は子を身ごもりながらも、船で落ち延びますが、鳴門の海で一人入水して通盛の後を追います。船中の人が、入水に気づき引き上げられたときは息も無く、哀れんだ人々は通盛の遺品の鎧に包んで海中に沈めたとあります。享年19歳。
生きながらえ出家の道もあったろうし、また、再婚なんてこともあったかもしれないわけですが、そうしたことを拒んでの後追いに、貞女の鏡とされたわけですね。

能では「通盛」というタイトルで、通盛がシテであり、局はツレとして登場しますが、前半の登場からツレがまず謡い出すという、異例の始まりをする演出。
能では、鳴門の海の磯辺で平家一門の弔いをする僧の前に、船に乗った老人と姥が現れます。そして、通盛と小宰相局の話を物語るというストーリー。
そして、後半では、通盛夫婦が登場して昔語りをして回向を頼みます。
通常の演出では、台本には姥とありますが、前半から姥ではなく、若い女の姿で登場します。
通小町なんかと同じ演出ですね。
前半の入水までの長物語に、若い姿の方が若い小宰相のイメージがよく出るということですね。

後場にある【クセ】の部分では、なんと道盛と見詰め合ったままという、これまたこの曲ならではの濃厚な演出があり(観ている客席では、さほど感じないかもしれませんが、やっているほうはかなり異例で、役と役がずっと向き合ったままという演出は能では、あまり無いのです)、死に行く道盛との前夜の別れが描かれています。
小宰相局は、平家の都落ちで通盛と共に都を離れたのですが、通盛は局と離れがたく密かに陣中に局を招き入れたわけで、それを弟の能登守教経にたしなめられています。その辺りが、この演出でよく出ていると思います。

今回、ツレ小宰相局は前後とも同じ姿での演出とのことで、前半が終わって幕に引かずに、舞台上のお囃子の後ろの後見座というところに中入りの間中、後ろ向きに座ります。
(この公演では、そうでした。今回も同じ予定)

観客からは見えていますが、見えていない(中入りしたと同じ)とする昔からの演出です。この「いない」のに居て「存在」するという演出は、舞台制作上の合理性とともに、一曲を通じて舞台に「小宰相局」を存在させる、能ならではの優れた演出ともいえます。今風にいえば一種のサブリミナル効果といえるのではないかと思います。


《次の記 事は2年前のその公演後に公演後記としてBlogに載せた記事》


土日と参加した週末2公演も終わりました。
昨日の通盛は、やはりクセの向合いが独特でした。本番はお互いに面装束をつけているので、すっかり役に入ります。通盛がりりしく、その立ち去る後ろ姿に永遠の別れがありました。
現代演劇のようにまず感情が先にあり、100パーセント感情移入するというのとは、能の演技は違うと思いますが(少なくとも私は違います)、ではただ型通りかというと、それとも違い、役の小宰相局の女の部分は確かにしっかりあって、役と演じてる自分とか感情とか理性とかが、何層かの階層が同時にあるというか、不思議な気持ちを経験します。
普通の芝居でも、そういう階層を持つ感覚はあると思いますが、それとも違うのですね。能の台本や演出、また演者が能面を掛けるというのが、感覚的な違いをもたらしている要因であることは間違いないと思います。
この役は何度かしておりますが、今までは、お相手がずっと年上の先生だったりしたせいか、あるいは、経験不足でそんな心の動きを感じる余裕がなかったのかも分かりませんが、今回は、通盛の顔に惚れ惚れいたしました。とはいってもこれは能面ですが、まさにその夜のリアリティーがある感じでした。シテは中所さんでした。


もうひとつ、ツレは中入りせずに後見座に後ろ向きにくつろぎますが、そうすると、ずっと中入りの間狂言の語りを聞くことになります。
通常は、シテもツレも幕に入ってしまいますから、ワキ以外の役がこの間語りを聞くのは珍しいのです。通盛と局の二人の馴れ初めから最後までを背中で聞きながら、思わずシオリ(泣くしぐさ)をしたくなりました。なんとも不思議な気持ちなのです。戦争で自分が死んだ後に、自分の物語をすぐそばで聞かされるというか。
まるで幽霊になって、生きている人の会話を聞くような感じです。(実際、舞台上ではそういう役どころですが)
そして、ワキに弔われて再び、舞台に入るのですが、これはやっぱり弔ってくれた僧に感謝の念が出てきます。
そして、もう一度今度は通盛が若い姿になって通盛の視点で別れの場面、戦の場面が語られる。
姿を変え、語り手が変わりながらも、幾度も語られる二人の話。不思議な余韻の残る作品でした。
まずはありがとうございました。

追記 最後に同幕(連れ添って幕に消える)で入るのがとてもよくて、最後は一緒になったんだなあ、という感じがありました。』



以上2年前の記事ですが、書いた自分はすっかり忘れておりました。
今読み返すと何か我ながら不思議な感想を述べてますね。今回私は通盛の方を演じるのと、古川君の小宰相と共演ですので、また違った思いが出てくるかと思います。
すでに何度か今回の稽古しながら、「こりゃ前回のツレの時とは感じがずいぶん違うなあ」と感じています。見える景色がまず違うんですね。船に乗るとまず目の前に小宰相がいる。ただそれだけでもういろいろ違います。男と女の違いとかも何とはなく感じます。
特に忍んで陣中で局と対峙した時は、「能」と「受」の違いとか。ちょっと言葉ではうまく感覚を説明できないのですが。役が変われば自ずと変わるように出来ているのだなあという感じです。
今回の公演では、解説に代えて飯島晶子さんの平家物語の小宰相の下りが現代語を交えて朗読されますので、平家物語に詳しくない方も能の下敷となった平家物語を楽しんでいただけると思います。
何とか風邪をひかずに当日を迎えたいですね。頑張ります。
皆様もどうぞお風邪など召されませんように。

三輪 九皐会

さて今週日曜日の定期公演
私のシテの「三輪」が近づきました。
今年5月に、三輪山を訪れた時の写真をホームページにUPしました。
三輪山は今もなお、山全体が神体として崇められています。
一木一草まで神宿るお山。
能の背景にはいつも深い自然があります。
その自然の力が、少しでも出せたらよいですね。

ではクリックしてホームページへジャンプ!

山姥3 

さて特別公演の山姥も近づきました。
日本に古くから伝わる「山姥」について多くの方が本を書いています。しかし、雲水の如くその実態につかみ所がない.
ある時は「鬼」、ある時は「人」、ある時は「自然」と姿を変え、鬼の心と母性の創造力を兼ね備え、我々の住む境界の向こう側にいる者。
そんな「山姥」を主人公にしただけあって、この曲も不思議な奥行きを見せています。

そして、この台本には、日頃聞きなれない仏教熟語が出てきたりしますから、難しいと思われる方もいると思います。

以前、流友演者がブログに詳しい解説を載せているので、今回、私は解説を載せずに行きたいと思っていましたが、リクエストを受けましたので、ざっくりと超訳を交えて、ストーリーの流れを追ったものを載せますね。

お話の流れ自体は、凄く分かりやいと思いますから、御伽噺を見るように気楽に観ていただいてよいと思いますよ。
なお、以下の文章は、ストーリーの重要な部分を私流に勝手に解釈して書きますから、ご了承の上、お読み下さいませ。



最初に登場するのは、伝説に伝えられる「山姥」の歌を作り歌って、都で一躍有名になった遊女の「百万」と、その従者です。
百万は、山姥の曲舞(当時流行の歌と舞)で当たりをとったので、都人に「百万山姥」とあだ名されていました。

そして、都から善光寺詣でをするために、海路で都から富山と新潟の間の境界にある境川につきます。そして、そこから南へ山越えをして善光寺に行くことにします。
「よきひかりぞとかげたのむ ほとけのみてらたずねん」と冒頭に従者が歌うのは
「善き光ぞと影頼む 仏の御寺訪ねん」とまさに善光寺詣での趣旨を語ります。

《なんでわざわざそんな危険な山道を通るのかというと、それが本尊の阿弥陀仏が善光寺へ向かうときに通った路であり、これも修行の旅だからとあえて険しい道を選択したのでした。観世流の謡本には、母の追善の為とかいうことは書いていませんが、他流の台本には、その動機が語られています。
地元の人の話だと、善光寺に行くのに、普通はそんな難所はわざわざ通らないのではとのこと。もっと楽なルートが色々あるのに、まして、都のスターがそこは通らないのではと。しかし、ここを通らないとお話が始まらないのであります(笑)。なぜならこは有名な山姥の伝承地であったのです。また当時、日本海側の交易が行われ、比較的人の行き来が頻繁であったようですね。また、この辺りは青い鉱石も取れたようで、後半の冒頭の謡いはそれを暗示させる詞章に思います。作者がそこに着想を得たように思います。》

こうして一行が山に入ると、にわかに日没し、辺りは暗闇となって立ち往生します。(能舞台では、なんといっても舞台は明るいわけで、セットの転換や照明がありませんから、舞台のセリフから、そんな気配が伝わるといいです)

そこへ、突然山奥から年長けた女が現れて、宿を貸してやるから泊ってゆくがよいと案内します。

謎の女が橋かかりから舞台入り、そこで、女の庵の中へと場面転換します。


さて、この謎の女は、一行に向かって云うのには、「泊めてやったのには、理由がある。山姥の歌を歌って聞かせて欲しいのだ、その為に日を沈めて立ち往生させたのだ」と、驚くべき事をいきなり切り出します。

こんな人里は離れた山奥で、いきなり都のスターである百万を名指しして歌を歌へと、ましてその為に太陽の運行を変えたのだという女に、従者は驚き怪しみ百万をかばって素性をとぼけます。
しかし、この謎の女をごまかす事は出来ませんでした。
「その人は、あの百万山姥ではないか。あの歌、百万が歌った『山姥』の曲舞のサビの面白いこと。
【善し悪しびきの(よし脚引きの)山姥が、山巡りするぞ苦しき】とは、なんどおもしろい。」と不気味に喜ぶのでした。

「お前達は、本当の山姥を知っておるのかえ」と女は尋ねます。

「や、山姥とは、山に住む鬼ではないですか・・・」

「女の鬼・・・。ふふふ。それもよかろう。鬼であろうと人であろうと、山に住む女には違いない。それならば、この私のことを云っているのではないかえ」

「道を極め、名を立てて、世上万得の妙花を開いたのは、この私のことを歌った曲舞の歌があったればこそではないか。それなのに、私の事を心にかけたこともない。わたしは、その事を云いに出てきたのだ。
お前があの歌を私に歌ってくれれば、その歌の力で、私は六道を巡る迷いの世界から解き離されて、ついに極楽へと行けるのだ。さあ、私の徳を称えた歌を歌っておくれ」

ついに謎の女は、その正体を明かします。
恐れおののいた百万は、あわてて歌を歌おうとします。
「いや、暫く待て。再び日の暮れるのをまって、月夜に歌っておくれ。そうすれば、私は本当の姿をお前にみせよう。そして、お前の歌でわたしが舞って見せよう」

そういって年長けた謎の女は、突然姿をかき消したのでした。
闇に包まれていた辺りは、再び明るくなり、時間を取り戻します。

ここまでが、舞台の前半です。


ここから、所の者が、月が出るまでの時間、山姥について知っていることを語って聞かせます。

やがて月が山にかかると、百万が歌いだします。

するとその声に誘われるように遥か山の奥から山姥が姿を現わします。

「あーらおもしろのしんこくやな」
「ああ、なんと奥深い山の谷の景色だろう」

「かんりんにほねをうつ れいきなくなくぜんじょうのごうをうらむ。
しんやにはなをくうずるてんにん。かえすがえすもきしょうのぜんのよろこぶ」
「いーや、ぜんなくふに。なにおかうらみ、なにおかよろこばんや。ばんこもくぜんのきょうがい。けんかびょうびゅうとして」

さて、ここはセリフの音だけ聞くと、凄い節付けとあいまって内容が分からないと思いますが、ここが山姥の聞き所の謡いなのです。

「あら物凄の深谷やな、あら物凄の深谷やな 寒林に骨を打つ、霊鬼泣く泣く前生の業を恨む、深野に花を供ずる天人、返す返すも幾生の善を喜ぶ、いや善悪不二、何をか恨み、何をか喜ばんや、万箇目前の境界、懸河渺々として。」

なんと凄まじい谷であろう。遥か天上から地獄の底までを映すような景色だ。
前世の報いで地獄に落ちた鬼は、自らの骨を打ちながら己の罪業を恨み、よい因果を残して天人と生まれ変わったものは、自らの墓に花を手向け喜ぶという。
しかし、更に高みから見るならば、善も悪もないのだ。全ては、その時々に姿を変えて現れる事象に過ぎないのだ。そして、今我が目の前に広がる景色は、切り出されたようなごつごつした岩と、青く澄んだ水との織り成す、深い青の深遠なる自然の姿だ。

深山幽谷の大自然の景観と、天上界から地獄界までを俯瞰し、善悪不二という悟りの境地、真理を語る壮大な歌でありセリフです。

現れた山姥は、星の如く光る眼、雪のように白い髪、その顔は、赤く鬼瓦のようであり、百万は恐れおののきます。
そんな百万に、歌をせがむ山姥。

そして、百万は「よしあしびきの山姥が~」と曲舞の歌を謡い始めます。
舞台上では、ここから地謡とシテの謡いが一つになって、「山姥の曲舞」が謡われます。

百万の歌と、山姥の思いが渾然一体となって、見事なコラボレーションの曲舞になります。
《追記 このところは、話の流れ的には、ツレの曲歌に乗って舞う場面なのですが、シテが自ら語り舞うようにも思います。前シテで、「移り舞」を舞うという表現をしてるのですが、それが、この百万の謡う(実際は地謡が代わって謡う)「山姥の次第」から始まり、やがてシテと地謡の渾然一体となった曲舞に移ってゆく事をいっているのかと思います。》


歌の初めは、山と谷の壮大な景色を、仏教で語られる心の世界と重ね合わせて描き出し、やがてそこに住む山姥の事を語ります。
《この曲が、ただのおとぎ話にならないのは、こうした仏教用語を交えた宇宙観を眼前の世界と山姥の生と重ね合わせているからにほかなりません。もちろん私が、仏教を語れるわけもないので、ここでは多くを書きません(笑)ただ、我々が、自然を通じて、真理を悟ったり感じたるすることはあるわけで、深い谷や高い峰の奇跡のような心打つ景観に、大いなる真実の影を感じることがあるとおもます。》


この曲舞で歌われる、山姥は、けっして人食いの恐ろしい鬼ではなく、人を助ける優しい存在として語られています。

そんな山姥の徳のある姿を、都でも広めてくれと百万に頼みながら、そう頼む己の執着を恥じる山姥。

変幻自在に姿を変え、超自然的な力を持ちながらも、その執着故に六道を輪廻する世界から離れられない山姥。

やがて山姥は、自らの苦しみの様を、心の姿を見せて舞台を巡ります。
山を廻るその姿こそが、閉ざされた輪廻の環から抜け出ることが出来ない山姥を描き出します。

やがて別れの時が来ると、山姥は、雪 月 花 に舞い、時の流れと共に、うつろい流れて輪廻を巡る自らの運命を見せたかと思うと、深い山々の彼方に消え去ったのでした。



うーむ。手短にお話しようとしましたが、それでもかなりの量ですね。
かなり独善的な解釈なんで、他の方々がお書きになっているものとは違うかもしれませんので、どうぞ他の方の解説を参考にして下さい(笑)

書き終わって改めて思うのは、なんだかとっても山姥って人間的。
前シテでは、時を動かし、後シテの登場では、自然と一体化したような壮大な歌を謡い、曲舞の中でも、邪正一如、色即是空なんて、真理を語るのだけど、自らは、解脱出来ない姿を最後に見せるのですよね。

およそ生きとし行ける者、形あるものは、存在することが、既に執着なのかな。
妄執を逃れようとすることが、妄執というか。
真理がわかっても、どうにもならないもどかしさみたいな思いを感じます。
山姥の苦悩。いや、山姥を通した人間の苦悩かもしれません。

それでも、音楽や芸能が、そこから少しでも解き放ってくれる救いとなって欲しいとの願い。
この曲では、その救い手として、伝説の曲舞師の「百万」にある種の尊敬をもってご登場願ったと思います。
果たして、山姥が救われたかは分からないですが、ラストの部分で山姥が舞う姿、自然が織り成す四季の移ろいと共に生きる姿に、生きることの素晴らしさと喜びも、それはそれでちゃんとあるよねと、私自身はこの曲の救いを見出したいと思います。

いや、実にスケールの大きな作品です。
技術的にも難度が高いです。
90分を超えるだろう長い舞台であり、謡いの節も舞いも、心持やスケール感も演者に要求される事が沢山あります。
また、仏教的宇宙観を織り込み、世阿弥の伝書に登場する「百万」と同名の遊女を登場させ、世阿弥作との可能性も高いといわれだけに、この作品に色々な解釈がなされているのも、この作品の魅力となっています。

そういう意味で、本当に面白い作品だと思います。
精一杯勤めますので、どうぞ宜しくお願いします。














山姥1

今日は定期公演の申し合わせでした。終了後、7月25日の観世九皐会百周年特別公演の取材を受けました。この記念公演は、2008年の暮れから始まり、年に数回の特別公演の企画です。残すところ7月と11月でフィナーレを迎えます。能は、連続公演をしない1日限りの公演なので、演じるほうも、泣いても笑っても1回限りのまさに一期一会の舞台となります。

今回の舞台では、同門の長山君の「井筒いづつ」と狂言、仕舞、そして私の「山姥やまんば」と云う番組です。
大曲といってよい演目の2本立てなのが、特別公演ならではの番組です。
二人とも公演でかけるのは初演なので、その意気込みなどを取材では話しました。

長山君の意気込みを聞いていて、私も頑張らなければと大いに刺激を受けました。また、記事が出ましたらご報告します。

さて、やまんばというと、澁谷にいた若い女の子を想像する方もいると思いますが(笑)、彼女達のメイクに山姥とあだ名したのは、誰なんでしょうね。

髪にはおどろの雪を頂き(白髪をさす)眼の光は星の如し、面の色は狭丹塗りの(赤から顔)と、能台本にはあり、なんとも云いえて妙でありました。
日本には、各地にヤマンバの伝説や伝承、御伽噺が残っていて、現代の我々の記憶にも薄っすらと残っているようです。だから、ヤマンバギャルとあだ名された彼女達を見たとき、なんとなく皆、そのネーミングに納得したような感じあったと思います。

山姥とは、山に住む姥であり、人里から離れた「山」という人間の力の及ばぬ異界に住む者でした。

また公演に向けて少しずつ書いて参りますね。



小宰相局 こざいしょうのつぼね

平家物語を読むと、平通盛(みちもり)と小宰相局の馴れ初めから、局の入水までが描かれています。
宮中一といわれた美人に恋をした通盛が、恋文を出し続け、ようやくその恋が実り、幸せをつかんだ矢先に、源氏との争いで通道盛はあえなく戦死。局は子を身ごもりながらも、船で落ち延びますが、鳴門の海で一人入水して通盛の後を追います。船中の人が、入水に気づき引き上げられたときは息も無く、哀れんだ人々は通盛の遺品の鎧に包んで海中に沈めたとあります。享年19歳。
生きながらえ出家の道もあったろうし、また、再婚なんてこともあったかもしれないわけですが、そうしたことを拒んでの後追いに、貞女の鏡とされたわけですね。

能では「通盛」というタイトルで、道盛がシテであり、局はツレとして登場しますが、前半の登場からツレがまず謡い出すという、異例の始まりをする演出。
能では、鳴門の海の磯辺で平家一門の弔いをする僧の前に、船に乗った老人と姥が現れる。そして、通盛と小宰相局の話を物語るというストーリーだ。
そして、後半では、通盛夫婦が登場して昔語りをして回向を頼むのである。
通常の演出では、台本には姥とあるが、前半から姥ではなく、若い女の姿で登場する。通小町なんかと同じ演出である。
前半の入水までの長物語に、若い姿の方がイメージがよく出る。
ツレも中入りして前半と後の姿を変える演出もある。

後半のクセの部分では、なんと道盛と見詰め合ったままという、これまたこの曲ならではの濃厚な演出があり(観ているとさほど感じないかもしれませんが、やっているほうはかなり異例で、役と役がずっと向き合うという演出は能では、あまり無いのです)、死に行く道盛との前夜の別れが描かれています。
小宰相局は、平家の都落ちで通盛と共に都を離れたのですが、通盛は局と離れがたく密かに陣中に局を招き入れたわけで、それを弟にたしなめれれています。その辺りが、この演出でよく出ていると思います。

今回、ツレ小宰相局は前後とも同じ姿での演出とのことで、前半が終わって幕に引かずに、舞台上のお囃子の後ろの後見座というところに中入りの間中、後ろ向きに座ります。
観客からは見えていますが、見えていない(中入りしたと同じ)とする昔からの演出です。この「いない」のに居て「存在」するという演出は、舞台制作上の合理性とともに、一曲を通じて舞台に「小宰相局」を存在させる、能ならではの優れた演出ともいえます。今風にいえば一種のサブリミナル効果といえるのではないかと思います。

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