能楽夜ばなし

能楽師遠藤喜久の日常と能のお話

舞台前記

伝説の琵琶 九皐会11月予告1

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11月番組予告 (各回 各部毎 お求めいただけます)

本日は九皐会九月定例でした。ご来場ありがとうございました。
私は梅枝の後見と鳥追舟(とりおいぶね)の仕舞を舞いました。
鳥追舟は、あまり仕舞を舞う機会が少ない曲です。
能だと舟や子方が出ますが、仕舞は一人きりですので、能の話を知らないと、少し情景が浮かび辛かったかもしれません。
主君が長らく留守の間、留守役の男に、主君の妻子が脅されて田んぼの鳥を追わさせるというひどいお話。しかし、主君が帰り悪事が暴露れて、めでたしめでたしと、テレビの時代劇にありそうな結末です。
その鳥を追う場面がこの曲の仕舞になっています。
秋の田を飛ぶ鳥が見えたらしめたものというわけでした。

本日の能梅枝は、能富士太鼓の後日談的な物語。
能の扮装は、鳥兜に舞衣と、なかなか洒落ていてるのですが、作り物も二つ出ますし、細かな細工もあり、後見は一苦労な演目。無事に行き何よりでした。


さて少し先ですが九皐会11月定例公演の二部で、玄象ゲンジョウという名曲を上演予定です。
観世流では準九番習という格付の取扱いになっております。
ストーリーだけでなく、謡い方や節付けに面白くも難しいところがあり、口伝伝承により伝えられた謡い方があります。
 その分、演技、演出の運び方も面白くなるわけです。やる方は難度が上がるので、うまくやれればの話ですが。

趣味で謡曲の稽古をされる方でも、十年以上多くの曲をみっちり稽古しないと辿りつかないかもしれません。


この曲、私の若い頃なら、ビートルズやエルビスプレスリーに憧れて、また今でも本場の音楽やダンス、大リーグ憧れて海外で自分の腕を試したいという方いると思いますが、遥か平安の御世に実在した琵琶の名手、太政大臣 藤原師長(もろながろ)もその一人。
海を渡り大陸へ行こうと志して旅に出たのです。
そして須磨の浦で、不思議な老夫婦に出会うのです。


私がシテを勤めるのは、なんと村上天皇の霊であります。
恐れ多くもいにしえの天皇役であります。
謡曲十徳に云う、望まずして高位に交じる であります。

こういう高貴な役は子役即ち子方がすることが多いですが、この曲はシテが勤めるのであります。
ということで大変位の高い役をいただきました。
心して勤めたいと思います。

またボチボチ、この記事も書くと思いますのでどうぞ宜しくお願いします。


能 半蔀を見る前におさえておきたい基礎知識

さてチケットの販売は制限を考慮して終了しておりますが、ご来場の皆さまに能「半蔀 はじとみ」を、より楽しんでいただくために少し解説をさせていただきます。
古典通の方は、どうぞ読み飛ばしてくださいませ。 まず「半蔀」とは、戸板の上を外へ釣り上げ外からは見えないように上だけが開く仕組みの戸。 この蔀戸の奥に、この曲の主人公 夕顔の上がひっそりと住んでいました。 能では、竹で作った簡略化した大道具(作り物)を出し、夕顔の住まいとその蔀戸を表します。 源氏物語でも夕顔は、素性を隠し謎めいています。それが蔀戸の奥に見え隠れして、一層興味を惹きます。 「よく見えないー! 」と云うのではなくて、作り物越しに見え隠れする夕顔らしさを表しています。 この半蔀という能は、源氏物語の言葉や和歌、状況を能の台本(謡曲)にアレンジして数々転用しています。 源氏物語通ならば、イメージが直ぐに思い浮かぶような台本です。 
 源氏物語のおさらい。
 主人公 光源氏 桐壺帝の第二皇子。光源氏は、生まれながらに特別美しく才能あふれる子だったが、母を三歳で亡くし、帝の配慮により源氏の姓を賜って臣下に下り、光源氏と呼ばれる。 (*物語に登場する当時の皇族、貴族は、正妻のほかに多くの女性を妻や恋人とし、子を成すこともあった)12歳の時左大臣家の娘四歳年上の葵上を正妻に迎えるが、葵上とは馴染まず、他の女性に心惹かれてゆく。

 正妻 葵上(あおいのうえ) 後に光源氏との子、夕霧を出産時に六条御息所の生霊が現れ絶命する。 
 頭中将(とうのちゅうじょう)  葵上の兄。光源氏の友でありライバル。恋多き男。大臣家の正妻を持つが、光源氏と同様に浮名を流す。ある雨の夜の源氏との女性談義で夕顔の存在を仄めかす。 「山がつの 垣ほ荒るともをりをりに あはれはかけよ 撫子の露」 (夕顔)が本妻に酷いことを言われて心細く思い、頭中将に詠んだ歌がこれ。男の通いが遠のいた事と、子供の事が暗示されている。後に光源氏は夕顔と恋仲になるのだが、頭中将との間に娘(玉鬘)がいることは、その時はまだ知らなかった。

実は夕顔は娘を乳母に預けて五条に身を隠していた。
 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)  光源氏より7歳年上の元皇太子妃。東宮(皇太子)との間に娘をもうけたが二十歳の時死別し未亡人となる。美貌教養身分と、物語随一の貴婦人。六条に住む。
光源氏は夕顔と出会う前、六条御息所のところへ通っていた。御息所は、その立場と年齢差もあり、抑制された情念と恋敵への嫉妬が、やがて自らの生霊を生み出す。夕顔や葵上の死の直前に、御息所と思しき生霊が現れる。 
 夕顔(ゆうがお) 能「半蔀」のシテ(主人公) 光源氏が乳母(従臣惟光の母)の見舞いに庶民的な街並みの五条の家を訪ねると、隣の家の半蔀が上がっていた。そこに何やら女性の気配を感じた光源氏は興味を惹かれる。蔦が絡まり、傾いた軒端に白い花が咲いていた。 「白き花ぞ おのれひとり笑みの眉開けたる」 と源氏は思い。 「うちわたす遠方人に物申す、われ そのそこに白く咲けるは何の花ぞ」と、古今集の和歌を何気に口ずさむと、従者は、「花の名は人めきて」 このようなみすぼらしい垣根に咲くのです。と、夕顔の花を教える。

源氏が一房折って参れと従者にのたまうと、家の中から女童が香を焚き込めた扇を持って出てきて、花を載せて渡すようにと差し出した。
そこには女性の和歌が添えてあった。 「心あてにそれかとも見る白露の 光添えたる夕顔の花」(もしや光源氏様ではないですか?) 

光源氏の返歌「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」(近づいて確かめてみたらどうでしょう)  *(この和歌の解釈には、様々異説あり。) これを機に光源氏は、五条の夕顔のもとに通うことになるが、お互いの素性は隠して打ち明けなかった。 
ある夜明け前、源氏は、夕顔を誘って「何某の院」という廃院に出かける。車の用意を待つ間、夜明け前に御嶽信仰の礼拝の声が「南無当来導師 なむとうらいどうし」と聞こえる。 いざ何某の院に着くと、どこか恐ろしい雰囲気。源氏は夕顔に、あなたは以前に他の人とこんな風にお出かけした経験がありますかと尋ねる。夕顔は頭中将の過去を見透かされたようで恥ずかしく 「山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ 」*(この和歌も、月は源氏か、夕顔かで異説あり)と答える。 

すっかり夕顔のとりこになった源氏は、夕顔の素性が気になって仕方がない。夕顔に尋ねても「海人の子」(卑しい身分で明かすほどではない)とはぐらかしてしまう。 
その夜、源氏の夢に女が現れ、恨み言を言う。目覚めると禍々しく恐ろしい気配に従者達を起こすが、気がつけば夕顔は絶命していた。花の如く儚い運命だった。夕顔は、頭中将と光源氏の二人の求愛を受け、源氏との恋が花開いたところで突然と散ってしまう。
能「半蔀」は、この女性の素性を篰の奥に隠し、光源氏との恋の思い出のみにスポットライトを当てて作られている。 
 本日の能「半蔀 はじとみ」の流れ 
この能には、夕顔と僧侶と寺男しか登場しない。
夕顔一人によって光源氏との恋が回想される。 
三か月余り籠って修行していた雲林院(紫式部ゆかりの寺)の僧侶が、仏に手向けてきた花の供養を始める。そこへ、いつの間にか現れて白い花を手向けた女がいた。 花の名を問うと「名は人めきて」と、源氏物語のように「夕顔」と答える。 

そして、素性を問うと、花の陰から来たと云い、今は五条あたりに居ますと仄めかして消えた。(シテ中入) 
寺男から夕顔の話を聞き、誘われるように五条辺りに行くと、軒に雑草が生い茂り、蔦が絡まる人気のない住まいがあり、女が蔀の向こうに現れた。
僧侶がお弔いをしますからお姿をお見せくださいと言うと 「山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 絶えし後の またいつか逢うべき」 「山がつの垣ほ荒るともをりをりは あはれはかけよ撫子の花」 と夕顔の女の和歌を詠み、やがて篰をあげて、光源氏との出会いを舞語る(曲舞クセマイという段落) 

その後、囃子の演奏のみによる「序ノ舞」という静かな舞が十数分続く。 
一つ一つの動きに具体的な物語の意味をはめ込んでいるわけではなく、抽象的な舞。様々なイメージを内包する舞の型によって、見る人それぞれに曲のイメージを想像させる。非言語的な音楽と動き。何を感じるかはあなた次第。(他曲の序ノ舞にはない特別な演奏と型が途中に入る) 
そしてエンディング(能では「切 キリ」と云う) 夜明け前になり、僧侶に弔いを頼み、再び半蔀の中に消えゆく。そしてそれは、僧侶の夢の幻になった。 果たしてあれは花の精霊だったのか、夕顔の幽霊だったのか。それとも僧侶の夢だったのか。源氏物語の夕顔の女と同様に、多くの謎を残して女は消え、柔らかく能は終わる。まるで夜にだけ咲く夕顔の花ように。
 以上 観能のご参考まで。 こう観なくてはいけないという決まりはありませんので、どうぞあれこれ想像し乍くつろいでご覧いただければと思います。

よろしくお願いいたします。

自然居士を観る上でのお約束事

10月11日(日曜日) 12時半開演の狂言と能 で自然居士を勤めます。

世阿弥の父上、観阿弥作ということで、現代の芝居に通じるお話の展開の作品で、わかり易く約1時間ほどですが、いくつか見る上での初歩的な決まり事を説明しておきます。
これ、わりとよく質問されるので。

お約束
①いろいろな役者が同時に舞台上に登場した時。目の前に居ても、お互いが見えているとは限らない。
②お互い、はっきり向き合ってない時は、存在が薄くなる。
③舞台上(ステージ)の実際の距離と、物語の中での役者同士の距離は同じではない。(舞台上近くにいても遠い事もある).
④舞台上の時間と物語の中の時間は一緒ではない。(時間空間の跳躍と伸縮)
⑤セットが少ないので、舞台上にないけど、物語としは存在していることがある。ないけどあるの設定。(見えないものは空想してねの法則)

能舞台は5メートル弱四方のエリアのステージなので、テレビの2画面、3画面のように同時に存在しながらも分かれていて目の前にいるのにお互い見えてない、聞こえていないという設定の場面が、少なからずあります。
また狭い舞台上の演出で、現在なら照明を暗くして存在を消し、観てほしい所にスポットライトをあてて、お客さんが混乱しないように場面をわかり易くするのですが、能には照明がありません。
なので、なんか不思議な感じがする場面もあります。
また、時間が飛んだり、伸びたりもします。

以下ネタバレ的な事もありますので観てから読むのもありです。

物語の展開
イ 自然居士登場 最初の登場は能の客席を観衆に見立てて、説法を始めるという場面。なのでまさにそこが説法のステージという設定。

ロ そこへ少女が目の前にやってくるが、最初は居士も少女の存在を認識していない。(2画面ような感じ)

ハ 少女が目の前で連れ去られるが、舞台上の距離と、物語の中の人物同士の距離は違うので知らん顔?

二 人商人は舞台上の居士の目の前のワキ座へ(客席から見て右手前方)に少女をさらって連れて行くが、物語の中では遥か遠くの人買船の中に連れ去られたという設定 距離と時間の跳躍+二画面。

ホ 一度居士が説法の座から立上がり橋掛へ行くと、場面が変わり舞台転換したことになり、ステージは雲居寺から人買船の泊まっている大津の岸へ場面がジャンプ。

へ 自然居士が少女を助けに行くが、実際はそれなりの距離と時間が経っている。舞台演出では、すぐに追いついてしまうが、時間と距離を飛び越している。(実際は大津まで11キロ。徒歩2時間弱、急ぎ足ならもう少し早い)

ト 人買船の停泊している岸で人商人と対峙するが、やがて船に乗り込むという設定。でも実際には船の大道具のセットは出てこない。(無いものは想像してねの法則)

チ 船に乗り込んだ後、船の中の設定だが、いつの間にか船上が広くなったり、狭くなったり演技の都合で伸び縮みする。

とまあ、色々なお芝居を見つけている人は、自然と溶け込めると思いますが、意外と変な感じ、不思議な感じと思うこともあると思います。

リアルのようでリアルで無い感じ。
昔の人は、凄く頭が柔軟だったんだなと感じます。
臨機応変に解釈や設定をどんどん変えて、都合の良いように進めていく。学ぶこと実に多し。
特に見えてるのに(すぐそばにいるのに)見えてないという演出はよく質問されますね。
観客の間には目の前に見えてるに、役同士は見えないの?と、最初は不思議な感じがしますね。
でもこれも慣れてしまえば、とても無駄のない演出なのです。
限られた空間で物語を進行する為に出来た演出でしょうか。

なので役と役がお互いにはっきり相手に語りかける時は、しっかりと相手に向き、相手を認識してる場面です。


これだけ押さえておけば、この曲は時間軸に沿って物語が進行するので、とても面白いです。
せっかく買い取った娘を返したくない人商人がなにかと自然居士に注文をつける場面が見どころですね。

そして芸によって事を解決するというところがこの曲の主眼かなと思います。
今回は小学2年生の女の子が、少女役です。
もうこんな大変な役(縛られて口に縄をかけられている設定なのでセリフがないのです)
(舞台では縄はかけませんよ! 無いけど在るの法則です)
出てくれるだけでエライです。
頑張ってなんとか助けねば!

お楽しみください。

この公演は、感染症対策として前後左右をあけて席を販売しています。
以前のフルに販売していた状態の客席からすれば、まさにガラガラに近い感じでご覧いただいております。
最大でも100席(満席237中)しか販売しておりません。しかもまだお席に余裕がございます。
なんたる贅沢。
狂言は20分弱、換気休憩後、能は1時間弱程度の演目ですから安心してご覧いただけると思います。
どうぞ日曜日は矢来能楽堂へお越しくださいませ。
お待ちしております。お申し込みは矢来能楽堂まで宜しくお願いします。

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花筐 2

いよいよ花筐も申し合わせ(リハーサル)も済みまして面、装束なども整いました。

先日の味真野の記述に追記して、もう一言、この曲に登場する継体天皇について触れておこうと思います。
皆様の方がよくご存知かと思いますが、
この曲に登場する継体天皇は、今だに謎とされる部分が多く、なにせ千五百年も前の大王の話なので、文献も少なく古事記日本書紀の記述も、どこまでが史実なのか、作られた歴史なのかがよくわからない謎の大王と言われる方です。

武烈天皇が突然逝去し、その武烈天皇に後継者がいなかった為に担ぎ出されたということになっていますが、何故、このひとだったのか。

応神天皇から既に五代も下った孫であり、都から離れた越前にいた皇子が歴史の表舞台になぜ躍り出ることが出来たのか。そもそもそれは本当なのか。古代歴史ミステリーの一つです。

日本書紀によれば武烈帝の後継者に引っ張られた時は、既に57歳で、先王のお姉さんを皇后にして王位を継ぎます。
皇后のほか8人の妃がいたとされます。

これらの妃は皆、機内、北陸に広がる王家に繋がる一族の娘達でした。

それらの勢力の後ろ盾があって都に進出したと考えられています。
また、継体天皇が曲中にも出てくる玉穂の都に入るのに二十年かかったとされ、空白の二十年があります。すぐ大和に入らなかったのは、それだけ大和に抵抗勢力があったからなのか、そもそもそれは本当なのか。多くの謎が残されています。

また年齢や記述が何処まで本当であったか、後に都合よく史実を書き換えられたとも言われています。
そうした古代王家をめぐる勢力争いと、様々な思惑の中で生まれた大王なのですね。

(能では、子方が貴人の役を勤めますので、今回はとても若い継体天皇です。)

味真野の資料館に入った時に花筐の照日の前のモデルに関して、息長真手王の娘、麻績娘子が味真野の地に関わりがあり、この姫ではないかと掲示には書いてありました。

後に伊勢斎宮となる皇女を生んでいます。
息長一族は、神功皇后を輩出した古い一族です。

しかし、観世流には安閑留という小書きがありまして、これがもともとの古い形であったらしいと研究者が書かれてますね。

そうなると安閑天皇を産んだ尾張氏の姫がモデルかというと、継体即位前には既に子供がいたようですし、玉穂の都に行くのに20年もかかったの?というと、どうも作品と色々辻褄合わないね。というわけで、やはりこの照日の前というキャラクターは、創作された女性であり、この作品はあくまで、古い伝承にヒントを得て脚色した創作的な作品だと言われているわけです。

また、何故そうした作品を世阿弥が作ったかというと、時の権力者の交代劇があり、それに合わせたからかでないか?など研究者の方が様々な見解を示しています。

いくつか改作の跡が見られるところもあり、その分、地謡部分も変化に富み楽曲として難易度の高い演目とされております。

能の花筐という曲は、だだのラブロンスではないと思ってみると、また違った見方ができるかも知れませんが、王位をめぐる争いの中に突然巻き込まれた皇子を追って行く恋人という見方も私は好きです。

観阿弥が作ったものを後に導入したと言われる李夫人の曲舞の下りは、切々と男女の愛情の深さを訴えかけますし、古代の歴史伝承を脚色して世阿弥が作ったといわれる作品なので、思い思いに楽しんで観ていただけたらと思います。

長い一言になりました。
では、どうぞよろしくお願い致します。

当日はひな祭りですね。
舞台上で、雛人形の能楽五人囃子の元となるお囃子や地謡、またお雛様達をお楽しみいただけたらと思います。

夢醒めて

本日若竹能にて、能 邯鄲のシテを勤めさせていだきました。

五十年及ぶ栄耀栄華の壮大な夢でした。

楽しい時は一瞬で時が経ちました。

あっという間の五十年でした。

人生は夢 幻の如くなり。

きっとリアルな人生が終わった時も、悔いなく生きられれば同じような感慨を得るのでしょうね。

盧生と共に夢が醒め。
言葉ではうまく言えない悟りが私にもあって。

そしてまた明日から淡々と一歩一歩。

生まれ変わった気持ちで歩みたいと思います。

これは終りと再生の物語でもあるのかもしれませんね。


そんな事を思う今夜でした。


そして、

夢から醒めた今、

またこれも夢なのかもしれないと。。。。


ご来場。こ観能誠にありがとうございました。




盧生 夢の宴

さていよいよ明日は若竹能 葛城大和舞と仕舞五番、そして私がシテを勤めます邯鄲。

明日は福王流 下宝生流のおワキ方が、ずらり9名も出演致します。

そのうち6名は邯鄲のおワキ方。
邯鄲の能は、ワキ方の登場人物が大変多い能でもあるのです。
勅使やお輿の従臣。
皇帝の宴では、子方と共に臣下役のおワキが狩衣を着て位並んで、宴に華を添えます。
能としては、豪華な宴なのですね。

明日は、盧生と共に夢の宴を楽しんでいただけたらと思います。

当日券もございます。
一時開演で、私の出番は3時前後です。

明日はまさに夢のような時間を過ごすことでしょう。お楽しみに。








めぐる四季 雪月花 出演のお知らせ

平成28年2月28日 九皐会若竹能 めぐる四季 雪月花にて、邯鄲のシテを勤めさせていただきます。
九皐会ホームページ
50年の栄耀栄華を、たった広さ1畳の空間の中に凝縮して舞う。
この曲のみの舞の演出が見どころであり、演じる難しさがあります。
凝縮した中に無限の広がりを写すという、これぞ日本の文化美意識。
能の中で描かれる中国を舞台にした物語は、壮大なスケールを謡いで表現してゆく作品が多いのですが、この邯鄲もその一つ。
また、夢と現実の世界が一瞬で切り替わる演出も能ならではの面白さがあります。

年末年始は、この曲とじっくり向き合いたいですね。
乞うご期待。



90% 明日の井筒

私がシテを勤める時は、滅多に雨が降りませんが、明日は珍しく降水確率90%。

時にはそんなこともありますか。
なにか珍しいことでも起こるかもしれません。乞うご期待。

明日の井筒の女が、最初に立つ舞台のポジョンを常座(じょうざ)といい、舞台中央辺りを正中というのですが、明日の前半のこのポジションの占有率は90%。

降水確率と同じです。

さて、どんな雨が降るのか降らぬのか。


ご来場の皆様は、どうぞ足元滑りやすいので、お気をつけて。

どうぞよろしくお願いいたします。




11月8日 矢来能楽堂で井筒を舞います。

本日は、晴れ渡る晴天の中、様々な催しを振り切って所沢航空記念公園彩翔亭にご来場賜りましてありがとうございました。
毎回、話込んで伸びるので、講座時間を30分伸ばすようにいわれて、伸ばしてみたら、それでもさらにオーバーでしてしまいました。本日、お越し下さった皆様は、きっと能「井筒」は、心を澄ましていろんなことを想像しながら、またいろいろな角度から能舞台を楽しんでご覧になれると思います。

来れなかった方は、是非、伊勢物語、4段、17段、23段の三つは、ちょっと目を通して来られるといいと思います。ついでに24段も。

特に23段は、この能の下敷きになったお話で、動かぬ居クセで地謡が謡語るのは、この23段場面です。

また後シテの初句の謡は、17段。序の舞を舞い、昔を想う場面では4段。などなど。

伊勢物語に挿入されている和歌や物語に少しひねりを加えて謡い込まれて出てきます。

基歌やその物語のイメージ、業平や紀有常の娘のイメージを少しつかんでいると、また見方が変わります。

おお、あの歌をこう入れてたか! おお、あの段のイメージをここに! って具合に、少しマニアックに楽しめると思います。

また、是非、詞章を一読してご覧なられことをお勧めします。聞き流すには勿体ないほど、伊勢物語ワールド満載の台本なのですね。 この台本の作者は、間違いなく伊勢物語とその注釈書などを横に置いて、能台本を創作したに違いなく、言葉遊びの面白さも感じられるかと思います。

今回、調べていて読んだ本に、「暁」の謎を解く(著者 小林賢章)という本に出合ったのですが、暁は朝ではないという考察がとてもしっくりきました。
朝方では、どうも感じが違うと私も思っていました。

前シテの初句 暁毎の閼伽の水は、 やはり深夜の方がしっくりします。

この暁の時間は、この本以外も、違う時間だという事を聞いたことがありますが、いずれも朝方ではないという説で、その方が私は出ていきやすいです。

それにしても、この井筒は、脇の登場から、シテの女の登場で、時間軸がずれるというか、スリップするし、井戸から水を汲むとか、業平の塚に花を手向けるなんて冒頭の登場場面も全て演出的には省略されているし、クセは舞わないし、物語は伊勢物語(前述)を知っていることを前提に進むし、型はそぎ落とせるところはみなそぎ落として動きを少なくしているので、この曲を、世阿弥作の凄い名曲だと聞いて、初めて能を観る人が見たら、結構面喰うと思いますね。
観客の想像力に物凄くゆだねているので。

勿論、なんの予備知識なくても舞台は観れますけど、謡われる言葉も、節が付けば伊勢物語の内容だって、違って聞こえるわけで。

まあ、見方様々なので、ここではあまり書きませんが。


今回はそんなことを、自分でも学ばせてもらいながらの講座でした。

お時間ある方は、是非、ひと調べしてくると、好奇心をくすぐる面白い事に沢山出会えると思います。


ま、わたしのブログを読む人は、きっと調べるのはお好きかと思いますが。。

九皐会は、まだ自由席あるそうなので、世阿弥が上花也といったこの名作を是非、私のシテでご覧頂ければと思います。

チケットは観世九皐会事務所にお尋ね下さい。


さて、当日の面はどうしようかなあ。
ま、師匠とは相談してはあるのですけどね。なかなか最後まで悩ましい選択です。
自分の力量もありますしね。
ま、当日のお楽しみです。

どうぞ宜しくお願い致します。





恒例 文化の日は所沢彩翔亭茶室で楽しむ能楽講座

彩翔亭20151103susuki編集中

恒例になりました11月の文化の日の、茶室で親しむ能楽お話講座。
所沢航空公園という駅前に広がる自然豊かな公園内にある茶室での催しです。

今回は、11月の矢来能楽堂観世九皐会の定例公演で私が舞う能「井筒」を中心に、気軽なお話講座を予定。
来場の方々と、少し井筒の謡いの手ほどきなんかも出来たら、少し能台本が身近になるかなと考えています。

この「井筒」という曲は世阿弥の作った最も美しい曲目のひとつといわれます。
在原業平と紀有常の娘との恋物語を物語の核として、
前半は、居クセと呼ばれるシテが舞わずに地謡が語るという演出。
後半は、序の舞という静かで優美な舞に女の恋心を表現する雅な作品です。

背比べをして育った男女がやがて大人になり、初々しい恋人になります。
しかし、男は他にも通う女が出来てしまう。
その時、女はどうしたか。

男の理想?ともいえる可憐な対応に、男はほだされるのです。

その恋心をどう舞うか。そのあたりが今回の見どころになります。

茶室ですが、椅子席をご用意してますので、気軽に来てください。また、ここの喫茶室には和菓子と抹茶の販売もしていますので、秋の庭園とお茶を楽しんでから、ゆっくりと能のお話を聞いていただけたらと思います。

この講座の申し込みは、チラシの問合せ先担当者にお願いします。

なお、矢来能楽堂定期公演についての申し込みお問い合わせは、能楽堂ホームページをご覧下さい。➡能楽堂リンク

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