玄象の能の中で、(藤原師長公の)遊ばされ候 琵琶の(演奏の)御調子は黄鐘おうしき。
にわかに降り候雨の板屋を叩く音は盤渉ばんしき。
という台詞が出てくるのですが、
日本の黄鐘は、ピアノのラ♪
盤渉は少し高くシ♪の辺りという。
板屋を叩く村雨の雨音が、師長の演奏する琵琶の黄鐘と調子違いなので、演奏の邪魔だと師長が演奏をやめてしまうと、尉がすかさず苫を屋根に被せて雨音を琵琶の調子に合わせるという場面。
音のわずかな違いがわかる、ただの汐汲みの爺ちゃんではないという心配りを見せるのです。
勿論実際に屋根に被せる苫(茅)は出ませんので、それも想像してねという事です。
で、この老人は只者ではないぞと思った師長が、琵琶の演奏を勧めると、姥が琴を伴奏し、弾き始めたらとんでもなく上手かった!
師長公は、己の驕りを恥じいるばかりなのでした。
能の囃子の笛は黄鐘がベースになっていて、この曲で村上天皇が後半に舞う早舞は、黄鐘から盤渉に転調する華やかな囃子の音楽です。それも聞きどころ。
今回の笛は、名手松田弘之師が出演予定です。
もう楽しみです。
その他、音楽を意識した謡いや演奏が、それとなく挿入されていて、ほほー♪面白い事するねえと、観客に聴かせる能でもあるのですね。
私は前半の汐汲みの老人と後半の村上天皇の二役を勤めます。
中入りで間狂言の立ち喋りのうちにパッと変身して後半を勤めます。
この前半後半の間を中入りと言いますが、休憩は入らず間狂言と言われる役が登場し、詳しく語ったりします。
中入は曲により、ゆーっくり後シテの役になれるものや、もう、F1のビットインみたいな早着替の曲とか様々。
今回時間的に結構忙しい中入りになりそうです。能の装束は、ご存知の通り後見の担当です。
今回は主後見は手練の奥川恒治師ですからね。
もう一瞬です。
また、御子息、恒成君が、龍神を勤めます。
という事で、ガッチリ先輩方はじめ皆さんにお力添えいただきながら頑張りたいと思います。
とても面白い能だと思います。
是非聴きに来て下さいませ。
チケットは観世九皐会事務所へお申し込み下さい。
追記
藤原師長のプロフィールで触れなかったですが、師長の父は、保元の乱で敗れた藤原頼長。
平清盛の武士の台頭のきっかけとなった争いですね。
この影響で20代前半には土佐に連座して師長も配流。
その後復権して太政大臣に登るも、40代の晩年に再び平清盛の政変で尾張へ配流される。
政治的には不遇の人で、その分音楽の才に恵まれたのかもしれない。
また二度の配流が貴種流離譚を産んだと推察される。
尾張には地元の娘との恋物語が残っている。
最後に玄象の琵琶について
遣唐使 藤原貞利(807-867)が唐に渡り、唐国の琵琶の名人に教えを請け、帰国の際に三面の琵琶を貰い受けた。
帰国の際に海が荒れ、それを鎮めるために獅子丸を海に捧げたという。
また、玄象は、琵琶の面に象の絵が絵が描かれていたから、その名がついたとも言われるが、今となっては現存せず定かでは無い。
この琵琶は天皇の宝物とされ、三種の神器に次ぐ程の貴重品であったというが、戦乱の世に消失したらしい。
火事に玄象が独りで逃げ出したとか、下手が弾くと音を出さなかったとか、まるで生きているかのような逸話も残っている。
この能の主人公は、村上天皇であり準主役的に藤原師長でもあるけど、天皇の名をタイトルにするのはさすがに憚ったのか、村上天皇=玄象と浸透していたのか。
高名な玄象の楽器の名を冠して音楽的な能だと暗示したのかもしれない。
タイトルになってるけど、この幻の名器玄象は、ついに登場しないというのが、この曲の不思議でもある。
この能を見た後、きっと皆さんも、玄象の琵琶の妙音ってどんなのだったのだろうと、思いを馳せる事でしょう。
それが作者の狙いなら、お見事です。
では、是非観に聴きに来て下さいませ。