父が後見をよくしていたせいか、私も比較的若い頃から後見座に座らさていただく事が多かった。
自然いつも囃子方の右後方に座し、囃子方の後ろ姿を見る機会も多かった。
とりわけ太鼓方は、後見座のすぐ左前に座られるので、その姿勢や佇まい、掛け声や撥音や気合いといったものを客席より身近に感じていたと思う。

先週の土曜日の公演中に観世流太鼓方の観世元伯さんの訃報を聞いた。51歳だった。
同世代ということあり、矢来関係の催しにもよくご出演だったので、若い頃からかれこれ30年近く、多くの舞台を御一緒させていただいた。

私は彼が太鼓を打つ時に後見座に座るのが楽しみだった。

他の誰とも違う、美しい後ろ姿。

真っ直ぐにキリッと座られるのに力むことなく、柔らかく品のある姿は、弥勒像に通じる美しい後ろ姿だった。

見惚れるこちらも自ずと背筋が伸びる。

そして力強い撥音。
美しく、それでいて凄みのある掛け声。
揺らぐことの無い背中。

名門、観世流太鼓方宗家の後継者として生まれた覚悟と稽古がそれを支えていたのに違いないが、そんな事を本人が口にすることはなかった。
いつも茶目っ気たっぷりに周りを楽しくさせてくれた。

若かりしある時、後見座に座りながら彼の後ろで私はこう思った。

この人は、関東一。
いや、きっと日本一の太鼓方じゃなかろうか。

ということは。。
世界一だ。

ということはこの星。地球一だ。

いや、この宇宙のよその星でも能楽はないだろうから、宇宙で一番。

宇宙一の太鼓方だ。と。

今、自分は宇宙一の太鼓方と同じ舞台に座っているのだ。

なんだか凄いね。本当に。

そんな子供じみた珍妙な事を閃いた自分をおかしく思っていると、すぐさま彼の痺れるような掛け声と撥音が、私を舞台に引き戻した。


あれから随分時が経ちました。
この話をいつかずっと歳を取ってからご本人に笑い話に話したいと思っていましたが、叶わなくなりました。

今週の九皐会月例の納会、中森健之介君の「乱」の披きは、元伯さんの太鼓の予定でした。
番組には、ただ彼の名前だけがそこに残りました。
本日、申合せがあり流儀の小寺佐七師が代わってお勤めでした。


あの素敵な後ろ姿が見れなくなると思うと残念でなりません。

あの掛け声が、あの撥音がもう二度と聞けなくなると思うと寂しくなります。本当に。

天に召されても太鼓を打たれるのでしょうね。
そしたら次は、天上界一ですね。

どうぞ安らかに。
楽しい時をありがとうございました。
心よりのご冥福をお祈り申し上げます。