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昨日の誓願寺の舞台の反省は反省として、一夜明ければ心はもう来月頭にあります松風公演であります。

神戸須磨には何度か史跡巡りで訪れているのですが、プログラムに使うかな?と探してみると写真があまりないので、目が覚めて支度して新幹線に飛び乗りました。
連休最終日の新幹線は、社内通路に人がびっしり立つ混雑。座れてよかった。

新神戸から乗り継いで須磨駅へ、
以前、同門の充君と来た時と駅の様子が違うような。。
駅の前が砂浜!
なんかおしゃれ。
しかも今日は真夏日でビキニの女の子が浜で日焼けしてる。

おおー!あれが現代版の松風に違いない(笑)
日焼けした裸の行平もおじゃる。

この辺りは、ご存知の通り、前は海、後ろは山。
行平の頃は人気もなく、風光明媚とはいえ、都から見ればさぞ鄙びたところだったのでしょう。
雅な都の姫たちがいるわけでもなく、楽しみといえばキャンプファイヤーの汐焼きくらいだったのかも。

そんな時に、村娘の海女の姉妹との出会いはどんなにか心癒された事でしょう。

土地の伝承では、娘たちの名は もしほ こふじ だそうで、折からの浜の松風と村雨に因んで行平が命名したという。


タクシーの運転手さんが、長年タクシーやってるけど松風村雨が人の名前とは知らなんだ!お墓まであるとは!と驚いていました。

ひとくさり伝承を教えると、あんた詳しいね!と褒めらてしまいました(笑)

途中、義経の腰掛の松なんてのも近くにあったりして楽しかった。

この辺りには古い多井畑厄除八幡さんがあり、義経が立ち寄ったそうな。

この神社の由緒は770年ですから、当然、行平や松風村雨もお参りしていてもおかしくないだろうというわけで、ここにもお参り。

もはやフィクションかノンフィクションかは、わからなくなっているのですが、伝承というのはそうしたもので、これが史実か?なんて野暮なことは必要ないのであります。


近くには松風町 村雨行平町 稲葉町 衣掛町という地名があり、今も伝承が伝わっているのが嬉しかったです。

次の仕事があり、月が出るまで待てなかったのがいささか心残りの静かな須磨の浜辺でした。