書写山500

上は書写山園教寺。

能 誓願寺の公演も今週八日に迫りました。
誓願寺でいただいた和泉式部についての事を読んでみると、以前史跡巡りで巡ったところばかり。
ご縁がありました。

和泉式部は娘さんの小式部内侍を亡くし、救いを求めて書写山(姫路)に性空上人を訪ねます。
そこで、都の八幡山岩清水八幡宮の大菩薩に祈るべしと道を示されます。
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岩清水八幡宮は、女郎花公演の時に伺った神社ですね。

和泉式部は、岩清水八幡宮に行き祈っていると、今度は老僧が現れ、誓願寺に行って祈るべしと告げられます。

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教えに従い、さらに京都に帰り誓願寺を訪ねます。

そして、誓願寺で48日籠って念仏を唱えたところ、夢に老尼が現れ女人成仏疑いなしの告を授かります。
和泉式部は尼となり、庵を結びます。
これが誠心院。

誓願寺も誠心院も移築されて今のところに来たと思いますが、ともかくも古いいわれはそういう事のようです。
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かくして和泉式部はついに極楽往生を遂げたのでした。

さて、能の話は、この後のお話。

やがて二百年あまり時が過ぎ、能 誓願寺のワキ、一遍上人が伊予国道後温泉にある宝厳寺に生まれます。
ここも以前行きました。
重要文化財だった上人像も見せていただきました。
(訪れた一年後に本堂が消失して驚きましたが、その後再建されております。写真はかつて訪れた時の宝巌寺。)

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宝厳寺(ほうごんじ)は愛媛県松山市道後湯月町にある時宗の寺で、時宗の開祖一遍上人の生誕地です。

10歳で出家し、その後、紆余曲折あって三十五歳くらいの頃から遊行しながら、南無阿弥陀仏 六十万人決定往生の札を配って布教を始めました。

でもって、ここからようやく能の場面。

京都誓願寺でお札を配って布教をしていると、遥か250年の時空を超えて和泉式部の霊が現れます。

和泉式部の尋ねに応じて、この札の意味を一遍が語り、60万人って書いてあるけど、人数は関係ないよ、とにかく南無阿弥陀仏と唱えればみんな救われるよと説明します。

やがて、上人にこの寺の額を、誓願寺から南無阿弥陀仏と書き換えるように告げ、自らの正体を明かして消え失せます。

でもって、後半は、和泉式部が菩薩達と現れる(能では式部一人だけ登場)という荘厳な展開なわけです。

これ現代のCG技術なら、けっこうリアルに映像化出来そうですが、能は想像の芸術なわけで、皆様の頭の中で、後半の極楽世界を想像していただきたいわけです。

現代からすると、とてもゆったりとしたリズムの音楽であり舞の動きであり、どこかお経や声明に通じる感じがしますね。心緩やかにご覧いただきたいと思います。

あとは、皆様の想像を邪魔しないような舞台を作れたらと思います。

ということで、よろしくお願いいたします。
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