5月九皐会も終わりました。
ご来場ありがとうございました。
満席でしたね。

今月は奥川師がシテの能「杜若」の地謡を勤めさせていただきました。

この日の舞台、30年来のお客様はお気づきなったかもしれませんが、シテが奥川師、そして、重後見が鈴木師、そして私が地頭と、30年前に能楽堂で奥川師を書生頭に、内弟子修業をして同じ釜の飯を食べたひよっこの3人が、今回の舞台のそれぞれのポジションの頭で顔を揃えました。

若手の会では、そういう機会も増えてきましたが、
観世九皐会一門の定期公演の一番で、師匠、先輩が舞台上にいない舞台は、大変な重責でした。
この30年、3人は、本番や稽古でずっと一緒にやって来ましたから、それはもう数千番位になっているのだろうと思いますが、それでもこの本番の舞台は、終わってみれば特別でありました。

数日前に行われた申し合わせでは、師匠先輩方が、ずらりご覧になり、ご注意をいただいたわけですが、舞台は生ものなので、その日その日で具合が違います。
ともかくも緊張する余裕もなく後輩方と地謡を勤めましたが、いかがでしたでしょうか。

終わってみてようやく我に返りまして(ああ、ずいぶん月日が経ったのだなあ)としみじみ思いました。
昔からのお客様は、あの若造が、懲りずにやっているなと思われたことでしょうね(笑)。

能の世界は、四十、五十(歳)はハナタレ小僧という言葉があります。
上には上が果てしなくあり、いつまでも若い時と同じように成長を目指すということだと思います。
また明日は、今日の先へ精進して参りたいと思います。


さて、
6月に鎌倉能舞台さんで、半蔀のシテがあるので、久ふりに源氏物語の夕顔の巻を読み直しています。

京都六条に住む御息所のところに通っていた17歳の光源氏は、その途中、五条あたりに住む、乳母の病気見舞いに訪れる。
この乳母は、源氏物語の中で光源氏をサポートする腹心の家来の惟光の母上。

この五条辺りは、いわゆる市井の住宅街で高貴な光源氏が、新たな恋人を見つけるような界隈ではないのだけど、乳母子の家に迎えられる迄の、ほんのしばしの間に、隣家に住む女の気配に興味を抱く光源氏でした。

そして垣根に咲く白い夕顔の花を見つけ、従者に取りに行かせる。

あの花を手折って参れなんて、貴公子ならではの場面。

すると中から小さな女の子が出てきて、香を焚きこめたこの扇に載せたら良いと、従者に花とともにそれを差し出す。

そこには文が添えられており、光源氏はその文に書かれた和歌を詠んで、家の中に住む和歌を詠んだ女の事が気になりだし、やがて、日を経て惟光の手引きで、この女と付き合い出す。

この女性が、すなわち能、半蔀の主人公の夕顔の君であります。

しかし、この二人はお互いの素性を明かさないまま付き合うという、戯れのような恋の遊びをしながら、時を過ごす。

しかしある時、光源氏が夕顔を連れ出した先の館の中で、物の怪に襲われてあっという間に死んでしまう。

光源氏は彼女の亡骸を密かに荼毘にふす。

ほのぼのとした夕顔の花のような女性だったが、光源氏と出会って束の間の時を共に過ごして、あたかも一夜の夢のように儚く物語から退場する。


この夕顔との出会いと、白いほのぼのとした夕顔の花なような女をイメージして作られたのがこの半蔀という作品。

物の怪ち襲われる怪異な場面ではなく、光源氏と夕顔の出会いのほのぼのと美しい場面を曲に織り込んで、それを舞うのが優美であります。
舞は「序の舞」。

半蔀というのは、今でいえば大きな換気窓とか出窓のようなもの。

そこから垣間見た家の中に住む女が、夕顔の君であった。

というわけで、まんまそれがタイトルになっているわけですが、この半蔀が、能では半蔀屋という作り物として出され、シテの登場の大事な演出を担っているのですね。

当日は源氏物語の解説もあり、源氏物語の世界を楽しんでもらえたらと思います。

なお、午前中の公演では、この夕顔の娘、数奇な運命を辿った玉鬘を題材した能が上演されます。
こちらは、ゆったりホノボノの半蔀と趣の違う曲ですので、お時間のある方は両方見てみると面白かもです。

公演詳細は鎌倉能舞台まで。チラシ→クリック

今月の公演から鎌倉能舞台の客席の横壁に公演中にも見れる解説字幕スクリーンが登場。
英語も出るようです。初めて見る方や言葉が難解だと思う方、外国の方にも良さそうです。
これからお客様のご意見を伺いながら、より見易いシステムを作るのだとか。
これ、一度私も客席でどんなものなのか見てみたいと思いました。
視線の真ん前にあるわけではないので、観能の妨げにならず手引きの欲しい時に見れるようです。
面白い試み。

初夏の一日、是非、お出まし下さい。
チケット申し込みは、鎌倉能舞台に直接お願いしたします。⇒クリック!