井づつ

カメラマン駒井氏から送られてきた私が選ぶ井筒の写真のベストショットをup。ここからの角度を狙ったところが流石です。
いかにも井筒といった風情をピンで切り取ってくれたのが嬉しい一枚です。
私のホームページTOPにもう少しいい画像であります。右のリンクからどうぞ。


今回は矢来でやるならこの取り合わせでやれたらなぁと、もうずいぶん昔から憧れていた面装束の取合せでさせていただけてありがたかったです。
今回の面は小面でさせていただきました。前シテ装束は里女の風情に相応しい大人しい秋の草花の紅白段に、金の露芝の摺箔を着せていただき、後場は、業平格子の入った、しかし総柄ではなくて優しい花文様をあしらった紫長絹。
かつて父もこの長絹で井筒を舞っているので、まさに「形見の直衣身に触れて」と謡うに相応しいと思いました。
下は井筒の井戸に因み水巻文様と花文様の赤地縫箔。
私としては、濃厚な亡憶の情念というより可憐な感じになればと思っておりました。

女が男の装束を着て現れるという設定の後場は、
序の舞を含め、どんな心持ちで演るか、それにより細かなところでちょこっと変えたりもするのですが、この面・装束ですからね。
すでにその方向性は自ずと決まっておりました。

井筒の後場は、男が演じる女が、さらに男に移り、倒錯して、さらに一つ和合するということもよく言われるのですが、その軸をどこに置くか。
どう解釈するか。

説明を省いた余白の多い台本だけに、その辺りも通な見方だったりします。
お客様にはどう見えでしょうか。

演じる方としては、どちらに針を振るかで感覚的に変わる気がします。

かつて父にその演じわけについて聞いたことがあります。父は観世寿夫師の後見をさせていただいたり稽古を受けているので、井筒には一家言あったのですね。

単純に型が変わるだけでなくて、「どうやるかで自ずと変わる」と云っていたのですが、その当時はまるで意味が???でした。
今は少しわかる気がします。
どうやるかは演者次第だといっておりました。

まあ、そう思ったからといって実際出来るかどうかは、また別の問題なので、思った通りには簡単にならないわけでありますけど。

古今の名人が勤められた名曲だけに、お客様にも曲のイメージが出来上がっており、そこに自分なりに少しでも近づけたらと思いましたが、終わってみればまだまだ道のりは果てしないなという思いでした。

この曲、前半は動きも少なく、初心者向きではないとの声もありますが、その余白に能らしさがあり、そこを埋められるようになりたいと思います。

あらためてご鑑賞いただき御礼申し上げます。


さて、今年は舞台はなにかと年末まで続きますが、私の年内のシテの大役は早々と終了です。
今年は父の追善会もしましたし、ようやく肩の荷が少し下りた思いです。

来年は、2月に九皐会若竹能で邯鄲を勤めさせていただきます。
五十年の栄華を極めます。
これがまた面白い演出の能です。

また、一から仕切り直して頑張ります。
よろしくお願いいたします。