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今月は同門の催しが秋の能楽ハイシーズン並に多くすでに10公演を超えた。加えて申合せや稽古会もあるので、毎日どこかしらの能楽堂にいる毎日である。 申合せは早朝が多く、本番もたいてい日中なので、夜に社中の稽古をしないと自然と朝方生活になるわけで、日の出と共に朝4時には目を覚ます健康的な毎日である。そんな生活も今月いっぱいまでだが、朝5時には謡本片手に公園に散歩に出るのは快適だった。
歩きながら謡を復唱したり舞台を考えたりすると記憶に残りやすいのだ。思索は散歩に限る。
そういえば子供の頃、父と散歩に行くと、父も何げに小さな謡本を持っていて、時折ブツブツやっていたのを思い出す。
公演が立て込んでくると、記憶と忘却の勝負で大変だ。もう何度もやっている曲もあるが、寝ても覚めても演目の世界にいる不思議な感じだ。それでもごく普通に日常生活は送れるから、人間の脳の働きは凄いものである。
演者の中には奇跡の頭脳をお持ちの方も結構いて、膨大な量の新曲だって数日で記憶したり、一度覚えたものは、頭の中の本をめくるだけという方もいる。必要にせまられて開発された一種の特殊能力だと思う。
私は脳に台本データを入れたマイクロチップを埋め込みたいほど素晴らしい忘却力を持っているので日々謡本が手放せない。若い頃は効率的な記憶方法がないかと様々試したが、結局ひたすら反芻するのが一番早いというのが経験的結論だ。
世界には サバーン症候群という症状を持つ人たちがいるそうだが、一度見たものは航空写真のように精密に記憶を再現出来るそうだ。人間の脳の潜在力を語る上で引き合いに出される。実に羨ましい。
しかし、忘れない能力は、忘れられない事とイコールなので、必ずしも幸せな能力とばかりはいかないそうだ。自分にとってよろしくない記憶も再生されてしまうからだ。その記憶に苛まれることもあるという。なかなか都合良くはいかない。
忘れられる幸せというのもあるということなんだな。
能の物語の中では忘れられない想いの記憶を執心として描く曲が結構ある。
死してなお忘れられない記憶に縛られるという凄いものである。
まあだからこそ「出てくる」わけだが(笑)
その記憶をお坊さんに語り、弔いを受けてその壮絶な記憶から解放されて成仏する。
つまりは「よく頑張ったねー、いろいろ大変な経験して偉かったよー、もう大丈夫。その辛かった記憶を手放したら極楽いけるよー 執着しないでねー 人生は幻だからねー 」
ということである。
まあ、そう考えると私なんぞは忘れっぽいので、生きながら記憶から解放されて幸せな方かもしれない(笑)
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石神井公園三宝池の睡蓮が満開
泥水の中で育つも美しい花を咲かせる様が仏性の象徴とされる