いよいよ暖かくなってきて、着るものが迷うこのごろ。
舞台も少しづつ、詰まってきました。

土曜日に中野ゼロに出演。
以前所沢で私がプロデュースした250本のロウソク能と同じ紅葉狩の舞台なのですが、この劇場に合わせて主演のK君がセットと照明を工夫して綺麗でした。
この劇場は横に間口が広いので、1300入るホールなのに舞台が近い。
客席で観てみたかったですね。
演目は古典作品ですが、劇場で一工夫すると、全く違った舞台効果が得られるのが能の面白いところでもあります。
ほんの15年前は、こうした舞台演出を取り入れるなんて、考えららなかったんですが、こうしたことに我々もだいぶ慣れてきて経験値が上がってきた感じです。

子供の頃、この劇場の裏の坂でよくスキーをしたのです(笑)
久しぶりに中野駅南口を歩いて楽しかったです。

日曜日は、九皐会 忠度と胡蝶
定期公演では、初めての副地頭でした。
能の地謡は正式には8人。
地頭(じがしら)が、いわばコーラスリーダー。
私はその横。
会にもよりますが、九皐会などだと、この真ん中に座るように成るのに、30年くらいかかる事もあります。なんといっても先輩方沢山いますからね。
若手の会ならば機会がありますが、九皐会定期公演では層が厚く、上は83歳の父からずらりと諸先輩方がいますので、一つ一つ席をあがって行く感じです。
まさに40、50歳は洟垂れ小僧(笑)

能の地謡は、決まりごとの多い中にも、間合いや緩急、リズム、音程が絶対音でないなど、繊細な自由があります。演者や囃子、場の空気によって常に変化するその微妙な感覚を一瞬一瞬感じ取りながら作ってゆきます。ベーシックな部分では、決まりごとが多いですが、一番大事なとことは個人にまかされているような感じです。ですから、その時の場の感じや、メンバーや様々な要因が重なって、その都度出来栄えが違うのですね。古典の演目は200数十番ですが、一見、同じ事を繰り返すように見えながら、常にその時の演者で新しい世界を作っています。それが、とても新鮮で楽しいところなのです。

能は無形。一瞬一瞬、池に落ちた花びらが、風が波紋を作り出しては消えてゆくように、心に記憶に時を刻みつけながら、消えてゆきます。
それは、人の生き様のようでもあり、人間が生に作り出し、それを感じるのも同じ人間というところが、とても面白いです。

今日は横浜能楽堂にかく学生さんの鑑賞会に行ってきました。
紅葉坂が意外といい運動になりました。