さて日曜の公演も近づきまして、気忙しくなってきました。
初めての人のためにあらすじを。
融の能は、前半は、他の能と同じように、いきなり融の大臣が出てきませんで、
白髪の潮汲み老人が出てまいります。
労働者の姿は大抵、水衣(水ごろも)という装束を着ております。
袖もたくし上げまして、水桶が付いた担ぎ棒を担いで登場します。

長くなりそうですので続きは追記をクリックしてください。

舞台は、東国から都に来た旅の僧が、六条川原の院跡であたりを見物しているところから始まります。
この旅の僧を能では、ワキ方が演じます。(能ではワキ方はワキの役を専門に演じます。)
そこにどこからとも無く潮汲みの老人がやってまいります。この時、一声(いっせい)という出囃子が演奏されます。
老人は、独り言のように、年をとった自分の境遇をつぶやき、今宵が中秋の名月に当たる事を語ります。
旅の僧は、この老人に話しかけ、この六条川原の院跡のことを教えてもらいます。
この川原が融の大臣によって、陸奥の塩釜を模して、日ごとに海水を運び入れて作られた海辺だったこと。
そして船を浮かべて宴を催したことなどを語ります。
しかし、今はその後を継ぐ人も無く、すっかりと干上がってうら寂れた景色はさびしい限りだと、老人は昔を懐かしんで涙します。

旅の僧は、老人を哀れみながらも、ここから見える月夜の景色を尋ねます。
老人は、その趣の景色を説明してゆきます。
まあ、バスガイドさんのように「あちらに見えますのはー」っと案内するのですが、
古今集や千載集に読み込まれた地名を、和歌を引き合いに出しながら語っていくのですね。
音羽山 清閑寺 今熊野 稲荷山 藤森 深草の里 小幡山 伏見野 竹田 淀 鳥羽 大原 小塩の山 嵐山
舞台では、この景色を謡いで謡って表現すっるわけで、
もちらん満月も出ませんし、山々のセットがあるわけでもなく、映像が見えるわけでもないので、
ここはもう見ている客席の想像力に頼るところです。
京都出身の友人によると、現代の景色しか知らないけれど、地名を聞けば風情が伝わってくるといっていました。

いつの間にやら時が過ぎ、やがて満月が空高くに上ってくると潮が満ちてきて、老人は長物語りをしたものだと、僧に頭を下げ、
やおら潮を桶に汲んで、(舞台には水はありませんが、潮汲みの所作を致します)
そして桶の水に月を写したかと思うと、あたりに潮煙が立ち込めてきて、老人は煙の中に消え失せてしまいます。
「あっれー!今のなにー? 誰ー?」ってことになります。舞台ではもちろん実際の煙も出ませんしドロンパッ!って消えれませんから、ここで中入りです。

現代的な舞台演出なら、わかりやすくスモーク焚いたり出来るんですが、能は言葉で物語や世界を想像してもらう語り芸を旨としてますから、そう見ていただくわけですね。


続きは 明日以降に