能楽夜ばなし

能楽師遠藤喜久の日常と能のお話

触れてみよう能楽の世界 2024発売開始

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この夏の所沢ミューズさんの触れみよう能楽の世界のチケットが、はや発売開始です。
メンバーズは21日。一般は28日から。
今年は、葵上を上演いたします。それに伴い、さまざまな関連深掘りイベントがあります。
様々な角度から能の世界に触れてみていだく企画満載です。
楽しみながら能の世界を味わっていただければと思います。
お申し込みは、チラシの宛先にお願いいたします。

社中記念会

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昨日は喜久謡会社中創立二十五周年記念会が矢来能楽堂で行われ、私も社中会員の皆様の出番は、全曲に出演させていただきました。
SNSで全く宣伝していなかったのですが、多くのお客様で会場も賑わいまして、大変和やかで充実した一日でした。会員の皆様の熱演、ファインプレーが続き、とても素晴らしい記念会だったと思います。

写真は初番の連吟。
矢来観世家の名跡の「喜」をいただいた会名で、まんま私と同名な訳ですが、観世喜之先生をはじめ、社中の方々と相談して命名し、矢来能楽堂で初会をしたのも昨日の事のようです。
あっという間の25年でした。
(稽古場としては、昨年がなんと30周年でした)

昨日は、東京、埼玉、秋田の会員有志が参加しての白熱した舞台と、終演後の美味しい食事会と、幸せな1日になりました。感謝申し上げます。


また、ご来場をいただきました皆様、携わっていただいた多くの皆様に心より厚く御礼申し上げます。
誠に有難うございました。

はや2月 そろそろブログお引っ越しかも

今年の一月は、例年になく多忙で、学校公演が入り月末も催しが続きました。
2月は昔から催しが少ない月なので、この時期は社中の稽古と事務仕事に力を入れるのが常ですが、今月は、九皐会の定例で中森さんの朝長の地頭をしますので、まずはそれに向けて注力します。
この曲、地謡はなかなかの大曲で、謡で聴かせる場面が多いので、そこが難しくもあります。
風邪が流行ってるので、体調管理が大変なこの頃。皆様もお気をつけあそばせ。
是非、観世九皐会2月定例会にお出まし下さい。

さて、2月1日と、お日柄も良さそうなので 新しくNoteというブログサイトを始めました。
広告のないブログに引っ越し先を考えておりまして、お試しに始めました。
Noteはじっくり記事を書く感じで、公演宣伝とかは、どうなのだろうね。

このブログも長年お世話になり、膨大な記事があるので、全削除もなかなか勇気が入ります。
ぼちぼちとこちらと並行しながら、あちこち他のブログにも葉を広げて住み心地を試してみようと思う今年でした。

Noteのリンクはこちら

本年も宜しくお願い申し上げます。 

元旦から日本を揺がす能登半島地震が起こり、まずもって被災された皆様にお見舞い申し上げます。


新潟の兄は無事。ご心配いただいた皆様ありがとうございました。

以前新潟中越地震の折に、その後の余震が長く続いて復興も大変だったと亡母が言っていたのを思い出しました。これからがご苦労かと思います。皆様の安全を祈念します。

皆様にとって少しでも良い一年になりますように。


本日は、年明最初のリハーサルと稽古能で、能二番の後見と一番の地頭から新年が始まりました。

明日は九皐会一月公演です。

今年もなかなかハードな予感。体調を整えて臨みたいと思います。


本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


長らく利用した、このライブドアのブログですが、広告の入らないblog形式に変えたいので、用意が整いましたら移転いたします。

当面はTwitterを主に使いますね。

facebookも長らく停止してますが、

便利なようで不便なこともあり只今思案中です。

今暫くお待ち下さいませ。

山廻り

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今週は出張が続き、岩手県の北上始点で大船渡、遠野、青森の五戸、三沢と学校公演に参加。そこから秋田に移動して、年内最後の秋田社中の稽古をして参りました。


山姥公演の後、飛び出したのですが、窓から見える景色は東北の山々。どこの学校も山々が近くに見え、とても良い環境の学校を訪問してきました。(画像は車窓からの写メ)

移動が長いので、いささか旅疲れですが、窓からの景色を眺め良い気分転換になりました。


秋田社中の稽古場は、本格的な冬到来になると稽古納めで、今年もはや「良いお年を!」と言葉を交わして稽古場を後にしました。


いよいよ年内の催しもフィナーレが見えてきましたが、大曲の公演が目白押しで気が抜けません、


体調管理に気をつけてラストスパートをしたいと思います。

皆様もどうぞお元気で。

御礼九皐会 山姥

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昨日は九皐会矢来能楽堂の公演に、秋のお忙しいところ御来場賜りまして誠に有難うございました。
懸案の山姥白頭でした。
終わって見ると予定の1時間半をゆうに超えまして、長丁場の舞台となりました。
囃子方や地謡の皆さんも大変力の入った舞台となりました。関係者の皆様にも厚く御礼申し上げます。

さて、答え合わせを少ししますと、今回、前シテは、通常の深井や霊女ではなく、それに近い痩女の面を使い、自然と装束も渋い落ち着いたとても古い色柄のものになり、良いものがお借り出来ましたので今回はこれで決まりました。
少し安達原の女に近いイメージですが、御伽話のちょっと不気味で、でも少し柔らかい不思議な山姥のイメージに近づければと思いました。


後半は、写真のようにとても良い名品の山姥の面と厚板唐織の装束をお借り出来まして、太い毛のエイジングの素晴らしい白頭、そして、よし葦引きのと山姥という謡いに掛けて、葦の絵柄の装束(これがなかなか力強い柄でピッタリ)と、まあどれも初めて着させていただく素晴らしい面装束。そして、以前チラと見せましたアカシの木の白杖と、これで出立はバチっと決まりましたので、あとはもう頑張るだけでした。
あの杖の原木は一年かけて乾かすそうで、木を育てた生産者の方が遠くから舞台を見に来て下さいました。御礼申し上げます。

山姥には色々な型の伝承工夫があるとのことですが、今回はご覧の通りで、面白い感じにまとまった?
かと思います。
細かな事は、もう見たまんまですね。

喜之家の山姥は、独特の謡い方の伝承があり、特に後シテの登場場面は肝となります。
若い頃によく師匠に稽古をしていただきましたが、今回あらためてじっくりと稽古をつけていただき、これも師匠がお元気なればこそで、ありがたい事でした。昨日は野宮の仕舞を勤められました。

これで私は年内のシテは勤め終えまして、また来年に向けてコツコツとトレーニングしてゆきたいと思います。
とはいえ、年末まで公演はあるので、地謡、後見などで出演があり、それはそれで日々勉強で、あまり生活は変わりませんが。

ともかくも今年も誠にありがとうございました。

来年の九皐会の定例公演の年間予定が発表されましたが、私は6月に夕顔と11月にこれまた大曲の景清を勤めます。
その他、恒例の夏の所沢ミューズもありますし、
何かしらまたイベントがあると思うので、またどうぞ宜しくお願い申し上げます。

駒井カメラマンからいただいた写真、iphone の写真をタップしたら面白く切り抜けたので、これをUPいたします。駆ける山姥?

YouTubeに上げた音声解説は、今月一杯の予定です。まだの方は、流し聞きしてみてください。

では、誠に有難うございました。


九皐会Twitterに写真上がりました。下記リンク
https://x.com/yaraikanze/status/1724274138775478637?s=46&t=49ztX2YFyujC0IbQvsh0mQ







公演直前

12日の九皐会公演の申合せリハーサルも終わりました。
やはり大曲感ありますねえ。山姥は。
目一杯エネルギーを振り絞られます。
この曲は、国立能楽堂のような大きな劇場でやる事が多いのですが、矢来能楽堂の古風な舞台だと、また趣があって良いです。
面装束もなかなか古いものが出揃いました。能の場合、古いものとは、エイジングされた良い物という意味です。
今回は昔語り風のしつらえ、とだけ言っておきましょう。


前半はセリフ劇、後半は謡いの独唱と曲舞、立ち廻りなど、見どころ多い舞台ですが、なんといっても謡いの山姥。
あとは当日無事に舞台に立てることを祈ります。

空気が乾燥してきて気になってましたが、
今日雨が降ってよかった。恵の雨☔️。

では、どうぞお楽しみに。
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山姥の楽屋裏 

いよいよ今週末に迫りました九皐会定例公演の山姥白頭。
今のところコンデションも悪くないので、このまま当日を迎えられるといいです。

今回は白頭の小書演出なので、面、装束も変えて、また全体の作りも感じを変えてやれたら良いなと思っています。
どうぞお楽しみに。

なお、チケットは一部二部共に余裕あるそうです。
ゆっくりと御鑑賞下さいませ。

当初、このblogで山姥の楽屋裏と題してシリーズにしようと思ったのですが、秘すれば花と言いますか、当日観に来られる方の驚きと楽しみが減るので、やめにしました。(🙇)
特に今回は.どれも特徴的なものが多いので、本番のお楽しみにしてくださいませ。

ではでは、どうぞ宜しくお願い申し上げます。kyukoukai11o
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11月公演予告②山姥やまんば  能の解説音声 パート3(能 後半)追加しました。

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11月矢来能楽堂定例公演二部の山姥 

音声解説パート3 追加しました。下記YouTubeをご視聴ください。なお、このブログからのみの限定配信にしてあります。

音声解説は、今回初めての試みで、結構大変でした(笑)

オンライン稽古用の新しいマイクシステムを試しに使ってみようと思ったのですが、プロの話し手さん達が、如何にお上手かよくわかりました。お聞き苦しいところは、どうぞご容赦を。

なおYouTubeの音声動画は、このページからのリンクで限定配信(期間限定)です。ご了承ください。 (*画像が消えていたので再修正UPし直しました。

当ブログを検索しましたら13年前に勤めた時の、長い解説がありましたので、再掲しておきますね。
今回は、姿が白い毛の頭になりますが、ストーリーは同じです。

ではどうぞ。
2010年7月


日本に古くから伝わる「山姥」について多くの方が本を書いています。しかし、雲水の如くその実態につかみ所がない.
ある時は「鬼」、ある時は「人」、ある時は「自然」と姿を変え、鬼の心と母性の創造力を兼ね備え、我々の住む境界の向こう側にいる者。
そんな「山姥」を主人公にしただけあって、この曲も不思議な奥行きを見せています。

そして、この台本には、日頃聞きなれない仏教熟語が出てきたりしますから、難しいと思われる方もいると思います。

今回、ざっくりと超訳を交えて、ストーリーの流れを追ったものを載せます。


お話の流れ自体は、凄く分かり易いと思いますから、御伽噺を見るように気楽に観ていただけたらと思います。
なお、以下の文章は、ストーリーの重要な部分を私流に勝手に解釈して書きますから、ご了承の上、お読み下さい。



最初に登場するのは、伝説に伝えられる「山姥」の事を歌に作り歌って、都で一躍有名になった遊女の「百万」と、その従者です。
百万は、山姥の曲舞(当時流行の歌と舞)で当たりをとったので、都人に「百万山姥」とあだ名されていました。

そして、都から善光寺詣をするために、都から富山と新潟の間の境界にある境川につきます。そして、そこから南へ山越えをして善光寺に行くことにします。
「よきひかりぞとかげたのむ ほとけのみてらたずねん」と冒頭に従者が歌うのは
「善き光ぞと影頼む 仏の御寺訪ねん」とまさに善光寺詣での趣旨を語ります。

《なんでわざわざそんな危険な山道を通るのかというと、それが本尊の阿弥陀仏が善光寺へ向かうときに通った路であり、これも修行の旅だからとあえて険しい道を選択したのでした。
地元の人の話だと、善光寺に行くのに、普通はそんな難所はわざわざ通らないとのこと。もっと楽なルートが色々あるのに、まして、都のスターがそこは通らないのではと。しかし、ここを通らないとお話が始まらないのであります(笑)。なぜならこは有名な山姥の伝承地であったのです。また当時、日本海側の交易が行われ、比較的人の行き来が頻繁であったようですね。また、この辺りは青い鉱石も取れたようで、後半の冒頭の謡いはそれを暗示させる詞章に思います。作者がそこに着想を得たように思います。》

こうして一行が山に入ると、にわかに日没し(突然夜になる)、辺りは暗闇となって立ち往生します。(能舞台では、なんといっても舞台は明るいわけで、セットの転換や照明がありませんから、舞台のセリフから、そんな気配が伝わるといいです)

そこへ、突然山奥から年長けた女が現れて、宿を貸してやるから泊ってゆくがよいと案内します。

謎の女が橋かかりから舞台入り、そこで、女の庵の中へと場面転換します。(例により舞台セットが転換されるわけではないので、見る側が場面を切り替える)


さて、この謎の女は、一行に向かって云うのには、「泊めてやったのには、理由がある。山姥の歌を歌って聞かせて欲しいのだ、その為に日を沈めて立ち往生させたのだ」と、驚くべき事をいきなり切り出します。

こんな人里離れた山奥で、いきなり都のスターである百万を名指しして歌を歌へと、ましてその為に太陽の運行を変えたのだという女に、従者は驚き怪しみ百万をかばって素性をとぼけます。
しかし、この謎の女をごまかす事は出来ませんでした。
「その人は、あの百万山姥ではないか。あの歌、百万が歌った『山姥』の曲舞のサビの面白いこと。
【善し悪しびきの(よし脚引きの)山姥が、山巡りするぞ苦しき】とは、なんともおもしろい。」と不気味に喜ぶのでした。

「お前達は、本当の山姥を知っておるのかえ」と女は尋ねます。

「や、山姥とは、山に住む鬼ではないですか。。。」

「女の鬼・・・。ふふふ。それもよかろう。鬼であろうと人であろうと、山に住む女には違いない。それならば、この私のことを云っているのではないかえ」

「道を極め、名を立てて、世上万得の妙花を開いたのは、この私のことを歌った曲舞の歌があったればこそではないか。それなのに、私の事を心にかけたこともない。わたしは、その事を云いに出てきたのだ。
お前があの歌を私に歌ってくれれば、その歌の力で、私は六道を巡る迷いの世界から解き離されて、ついに極楽へと行けるのだ。さあ、私の徳を称えた歌を歌っておくれ」

ついに謎の女は、その正体を明かします。
本物の山姥がやって来たことに恐れおののいた百万は、あわてて歌を歌おうとします。
「いや、暫く待て。再び日の暮れるのを待って、月夜に歌っておくれ。そうすれば、私は本当の姿をお前に見せよう。そして、お前の歌でわたしが舞って見せよう」

そういって年長けた謎の女は、突然姿をかき消したのでした。
闇に包まれていた辺りは、再び明るくなり、時間を取り戻します。

ここまでが、舞台の前半です。


ここから、所の者が、月が出るまでの時間、山姥について知っていることを語って聞かせます。(間狂言と呼ばれるくだり)

やがて月が山にかかると、百万が歌いだします。

するとその声に誘われるように遥か山の奥から山姥が姿を現わします。
この出囃子の迫力ある演奏にも注目。

「あーら、おもしろのしんこくやな」
「ああ、なんと奥深い山の谷の景色だろう」

「かんりんにほねをうつ れいきなくなくぜんじょうのごうをうらむ。
しんやにはなをくうずるてんにん。かえすがえすもきしょうのぜんのよろこぶ」
「いーや、ぜんなくふに。なにおかうらみ、なにおかよろこばんや。ばんこもくぜんのきょうがい。けんかびょうびゅうとして」

さて、ここはセリフの音だけ聞くと、謡いの凄い節付けとあいまって内容が分からないと思いますが、ここが山姥の曲の聞き所の謡いなのです。(謡いとしてもとっても特殊で謡うのが難しい節付)

「あら物凄の深谷やな、あら物凄の深谷やな 寒林に骨を打つ、霊鬼泣く泣く前生の業を恨む、深野に花を供ずる天人、返す返すも幾生の善を喜ぶ、いや善悪不二、何をか恨み、何をか喜ばんや、万箇目前の境界、懸河渺々として。」

なんと凄まじい谷であろう。遥か天上から地獄の底までを映すような景色だ。
前世の報いで地獄に落ちた鬼は、自らの骨を打ちながら己の罪業を恨み、よい因果を残して天人と生まれ変わったものは、自らの墓に花を手向け喜ぶという。
しかし、更に高みから見るならば、善も悪もないのだ。全ては、その時々に姿を変えて現れる事象に過ぎないのだ。そして、今我が目の前に広がる景色は、切り出されたようなごつごつした岩と、青く澄んだ水との織り成す、深い青の深遠なる自然の姿だ。

深山幽谷の大自然の景観と、天上界から地獄界までを俯瞰し、善悪不二という悟りの境地、真理を語る壮大な歌でありセリフです。

現れた山姥は、星の如く光る眼、雪のように白い髪、その顔は、赤く鬼瓦のようであり、百万は恐れおののきます。
そんな百万に、歌をせがむ山姥。

そして、百万は「よしあしびきの山姥が~」と曲舞の歌を謡い始めます。
舞台上では、ここから地謡とシテの謡いが一つになって、「山姥の曲舞」が謡われます。

百万の歌と、山姥の思いが渾然一体となって、見事なコラボレーションの曲舞になります。
《追記 このところは、話の流れ的には、ツレの曲歌に乗って舞う場面なのですが、シテが自ら語り舞うようにも思います。前シテで、「移り舞」を舞うという表現をしてるのですが、それが、この百万の謡う(実際は地謡が代わって謡う)「山姥の次第」から始まり、やがてシテと地謡の渾然一体となった曲舞に移ってゆく事をいっているのかと思います。》


歌の初めは、山と谷の壮大な景色を、仏教で語られる心の世界と重ね合わせて描き出し、やがてそこに住む山姥の事を語ります。
《この曲が、ただのおとぎ話にならないのは、こうした仏教用語を交えた宇宙観を眼前の世界と山姥の生と重ね合わせているからにほかなりません。もちろん私が、仏教を語れるわけもないので、ここでは多くを書きません。ただ、我々が、自然を通じて、真理を悟ったり感じたるすることはあるわけで、深い谷や高い峰の奇跡のような心打つ景観に、大いなる真実の影を感じることがあると思います。》


この曲舞で歌われる、山姥は、けっして人食いの恐ろしい鬼ではなく、人を助ける優しい存在として語られています。

そんな山姥の徳のある姿を、都でも広めてくれと百万に頼みながら、そう頼む己の執着を恥じる山姥。

変幻自在に姿を変え、超自然的な力を持ちながらも、その執着故に六道を輪廻する世界から離れられない山姥。

やがて山姥は、自らの苦しみの様を、心の姿を見せて舞台を巡ります。
山を廻るその姿こそが、閉ざされた輪廻の環から抜け出ることが出来ない山姥を描き出します。

やがて別れの時が来ると、山姥は、雪 月 花 に舞い、時の流れと共に、うつろい流れて輪廻を巡る自らの運命を見せたかと思うと、深い山々の彼方に消え去ったのでした。



うーむ。手短にお話しようとしましたが、それでもかなりの量ですね。
かなり独善的な解釈なんで、他の方々がお書きになっているものとは違うかもしれませんので、どうぞ他の方の解説を参考にして下さい(笑)

書き終わって改めて思うのは、なんだかとっても山姥って人間的。
前シテでは、時を動かし、後シテの登場では、自然と一体化したような壮大な歌を謡い、曲舞の中でも、邪正一如、色即是空なんて、真理を語るのだけど、自らは、解脱出来ない姿を最後に見せるのですよね。

およそ生きとし生ける者、形あるものは、存在することが、既に執着なのかな。
妄執を逃れようとすることが、妄執というか。
真理がわかっても、どうにもならない、もどかしさみたいな思いを感じます。
山姥の苦悩。いや、山姥を通した人間の苦悩かもしれません。

それでも、音楽や芸能が、そこから少しでも解き放ってくれる救いとなって欲しいとの願い。
この曲では、その救い手として、伝説の曲舞師の「百万」に、ある種の尊敬リスペクトをもってご登場願ったと思います。
果たして、山姥が救われたかは分からないですが、ラストの部分で山姥が舞う姿、自然が織り成す四季の移ろいと共に生きる姿に、生きることの素晴らしさと喜びも、それはそれでちゃんとあるよねと、私自身はこの曲の救いを見出したいと思います。

いや、実にスケールの大きな作品です。
技術的にも難度が高いです。
90分を超えるだろう長い舞台であり、謡いの節も舞いも、心持やスケール感も演者に要求される事が沢山あります。
また、仏教的宇宙観を織り込み、世阿弥の伝書に登場する「百万」と同名の遊女を登場させ、世阿弥作との可能性も高いといわれるだけに、この作品に色々な解釈がなされているのも、この作品の魅力となっています。

そういう意味で、本当に面白い作品だと思います。
精一杯勤めますので、どうぞ宜しくお願いします。
2010年夏


当時のブログを読み直すと、昔の自分に教えられます。
あれから随分キャリアと歳を重ねましたが、
塵も積もれば山姥となれるか。果たして。
乞うご期待。



雑誌観世11-12月号 発売

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今月号の雑誌観世の巻頭の写真コーナーに、流儀の諸先生に混じって、九皐会別会の時の望月の写真を載せていただきました。

子方を勤めてくれた坂君のお嬢さんとのツーショット。大変光栄です。

つい先日、坂君自身も記念公演で望月をお嬢さんと勤め、子方が大活躍しましたが、私の時もとても頑張ってくれた事を思い出します。

この他、公演情報や能の知識を深める記事が掲載されています。林望先生も連載されています。

是非一度お求めください。

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観世流能楽師(能楽のシテ方 演者) 日本能楽会会員(重要無形文化財 能楽(総合認定)保持者 幼少より子方を勤め、東京神楽坂の矢来能楽堂で修行し2千以上の能楽公演・講座・コラボ舞台に出演・制作。毎月、矢来能楽堂定期公演に出演。 能楽重習曲、乱・石橋・道成寺・望月・安宅・砧・翁など披瀝。 また東京中野区・練馬区・所沢市・秋田県を中心に稽古と普及活動をしている。(公社)観世九皐会 能楽協会所属 日大芸術学部卒業 
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