能楽夜ばなし

能楽師遠藤喜久の日常と能のお話

大阪出張

今週は文化庁主催の学生能で大阪出張だったのです。
で、例によりご近所の能楽史跡を訪れました。
まずは、先日弱法師を舞ったばかりのk君が、四天王寺にお礼参りに行きたいというので、同行して久しぶりの参詣。
謡いに謡われる石の鳥居が特徴的で、ここから海の方を見ると彼岸の中日に夕日が沈むわけです。
その丸いお日様を心に思い、西方極楽浄土を思い描いて感じるのが、日想感というわけです。
今、改修工事中でしたが、とにかく広い境内を散策して弱法師気分を味わってきました。
此処に来ると能楽師は必ずやるのが、石の鳥居にぶつかる仕草。私も昔やりました。私の亡父もやったそうです。ま、役作りとしてどんな感じか知りたいわけですね、
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本当は右側なんだけど、施行を待つ人がいたので左に。
一生懸命ぶつかるk君でした。
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でもって、心あてなる陽に向かいて東門を、拝み波阿弥陀仏の型どころ。
人通りがないので、稽古を始めました。
というか、公演前にやらないとね(笑)
境内には他にも謡いに出て来る史跡が其処此処にあり、能楽ファンには必見の名所でした。

講演旅行2

このところ出張が続きまして、今度は紀伊半島に行ってきました。
名古屋から伊勢へ、そこから時計回りに熊野の方へ下りて、さらに最南端の串本を周り、最後はぐるり紀伊半島を上がって関西空港から戻りました。どんだけ移動したのやら。
折角の機会なので先々で能楽関連の史跡の神社に立ち寄り参詣。まさに諸国一見の能楽師。
今回伊勢神宮下宮、内宮に立ち寄れたのはとても良かった。
特に、朝6時前に早起きして内宮の鳥居から朝日が昇るのを拝めたのは感動的でした。
まさに天照大御神様のパワーを感じました。

行く先々に神話時代の名残があって、信仰が息づいていました。八百万の神々に祈れる日本人って幸せだなあ、ありがたいなあと思った次第。

名古屋といえば味噌カツ。駅にある名店で初めてがっつり食べました。
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下宮 次の遷宮を待つお宮
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内宮夜明け前
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内宮の夜明け
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花巌神社
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神事の綱
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熊野速玉神社
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最南端串本 弘法大師と天邪鬼の伝説のある橋杭岩
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暖かい海風の空
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戻って東京の寒さにビックリ。

公演旅行

文化庁の学校公演の為、東北に公演旅行でした。
野山に囲まれてどこも素敵な景色でした。
東京に戻って、ビルと人混みと騒音に今更ながら驚くばかり。便利で活気はあるけどね。ちょっとスローライフに憧れますね。
ま、当分無理だけど。

風力発電 秋田
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鳥海山
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姫神山
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鐘楼 盛岡
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烏帽子岩
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盛岡城址公園の紅葉
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初雪紅葉
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南部鉄瓶。驚きの値段で諦め。
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皐風会さん、お世話になった皆様、ご同行の皆様もありがとうございました。
さて、いざ東京。

彩翔亭講座終了

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本日は晴天なり。
ご来場ありがとうございました。
沢山お集まりいただき懐かしい顔にも会えて嬉しかったです。

追記
所沢喜久謡会は、只今新規会員募集中です。
月二回は、私が稽古に伺っています。
私が行かない時も集まって自主練もされたりと熱心な稽古場ですから、充実した謡い、仕舞の稽古が出来ると思います。
blogサイトの右にあるリンク先で、私のホームページから、お問い合わせ下されば、会の方に取り次ぎますね。
気軽にお問い合わせください。
昨日もお仲間が増えたようです。
嬉しいですね。
ここは団体稽古なので、気軽に参加出来ますので、そこが魅力ですね。是非ご一緒に楽しみましょう。




告知

彩翔亭201611-3


恒例の11月3日の所沢航空公園内、茶室の催し。
今回は、能の台本を謡う、謡いを中心に、秋の名曲「紅葉狩」を皆で謡って楽しもうという気軽な催し。
例により、鑑賞の手引きや仕舞の実演なんていうこともしながら、秋の庭園を散策した後に、喫茶でお茶を飲んでくつろいで、それから能のお話や、謡の体験を面白おかしくしていただけたらと思ってっています。


「時雨を急ぐ紅葉狩り♪」 入門曲ですし、これから謡いを習ってみようという人には、ぴったりの曲目。
艶っぽい節回しもあって、謡えると楽しいです。

能は古語だし、難解だって云うけれど、自分で謡えると面白んだよね。
音階や規則に人間を合わせたり、そのソプラノ出せない人はそのパート駄目とかは、ないのがいいところで、もちろん、決まりや節もリズムもあるのですけどね。呼吸や心臓のリズムや気持ちに添って謡うのが、とても人間的だなと思っています。決まりはあるけど、その時その時、生まれてゆく感じがあって。
息が音になって体に響いて、それが外に伝わって行くと気持ちいいものです。
ま、だから何百年も続いているのでしょうが。
日頃大きな声をさせない人も、一緒に大いに声を出してみましょう。


全席椅子になったようですし、畏まらずに、こじんまりとした感じの会場ですし、遠藤と膝突き合わせてお茶飲み話を聞く感じでいらしていただければと思います。
今回は謡いですし、男性陣の参加も大いにお待ちしております。

資料用意しますので、手ぶらでお越しくださいませ。





女郎花 純愛

ominamesi1

先日の公演の後日談になるが、
稽古場で、女郎花の観能の感想を伺っていたら、
社中の女性の一人に、あれは純愛ラブロマンスではないかとの感想をいただいた。

能では、男が留守の間に訪ねてきた都の女性が、男が心変わりをしたと誤解して命を絶ち、男も後に続く話になっているが、若い純情純真な男女にありがちな、すれ違いによる悲劇で、女性は都の少し身分のある純な女。男もひどく誠実な男性で、それゆえに後を追ったと。そのように見えたとの事だった。

純愛ねえ。。。と、私が珍しげに呟くと、
「先生も若い時はきっとそうだったと思うのです。若い頃は、ちょっとしたすれ違いや誤解で、傷ついたり喜んだり思いつめたりといった恋愛をしていた頃があったと思うのですよね」

そう云われて、思わず遠い目をしてしまった(笑)。
昔の記憶を探してみると、確かに自分にもそんな年頃があって、しかし、年とともにいつの間にか分別もついてしまうものだ。

しかし。
あの頃の自分であれば、女郎花の男女のような結末があっても、おかしくはないかもしれない。

と、いささか錆び付いた自分を自覚させられて凹んだが、そうやって観ると、この凄まじくもある話が若々しい男女の美しい浪漫のある話にも見えてくる。


実を言えば、私自身は、この曲を演じる際に、死してなお離れぬ執心の凄まじさに、人間の男女の業や欲望に触れた気がして、救われない気分になっていた。
能で演じると、それがいくぶん和らぎ、女郎花の可憐な黄色の花が咲くが、その花の咲く土中に深い闇を見ていた。

なので、この感想を聞いて少し気分が晴れやかになる思いだった。

人は、見たい景色を観る。

社中の女性が見た景色は美しかった。

そして、私が見た闇は、もしかしたら自分自身の闇であったかと、いささか愕然としながら、舞台を振り返った。(了)

女郎花編は、これにて完結。
 ありがとうございました。







女郎花 終了 ありがとうございました

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昨日、定期公演にて能 女郎花の舞台終了しました。
ご来場賜りました皆様、誠にありがとうございました。
演者としては、意図した事、しなかった事などもあり反省は多々ありますが、次の舞台に生かしていければと思います。
シテは、全編ほぼセリフ劇で、語りだけでどのぐらい物語の世界観を伝えられたかなと思いますが、先日参詣した岩清水八幡宮の記憶が随分助けになりました。
今回、後場のツレは女郎花のイメージカラーの右近色の唐織で、シテは紫地の狩衣でした。
面は前シテは笑尉。花守の爺です。
後シテは邯鄲男で、この出で立ちは少し神職系のイメージにも見えますね。
如何でしたでしょうか。

このところ毎月のようにシテの舞台が続きましたが、今年は年内早々と一般向けの公演での自分のシテの舞台は終了で、残すは文化庁学校公演で舞わせていただくだけとなり、少しホッとしました。
遠藤喜久の会は、今年はいたしません。
来年11月5日に矢来能楽堂で松風をさせていただこうと考えています。
一年先ですが、是非ご予定下さいませ。
で、矢来能楽堂の九皐会定期公演では、その一月前の10月8日に、こちらも大物、誓願寺に挑戦します。

来年も夏から秋にかけて舞台が続くので、そこに向けて精進したいと思います。
新春から春にかけての公演はまた、別に告知させていただきますね。

さて、少しホッとしたの束の間、
実は私はこれからが一年で一番忙しい時期に入ります。
ここからは後見、地謡とトーク?の出演ですが、能の演者の場合は結局全部稽古することには変わりなく、公演が続くとタイトな日々が始まります。
同門他門の公演が目白押しですね。
頑張って参ります。


さーて。ダイエットを再開するぞー(笑)

女郎花 男と女は難しいね

日曜日に迫った九皐会定期公演。
申し合わせも済みました。

女郎花(オミナメシ)ですが、いざ演じる立場で考えてみると、この曲の前提となっている、男と女の話が、わかったような、わからないような。
このところ頭を悩ませていたのです。
グズグズと書いておりますので、お暇な方はお付き合いくださいませ。


そもそも能、女郎花の主人公たる小野頼風って、何者なのでしょう。
この女郎花伝説の原点と言われる三流抄という古書には、八幡の人と書いてあります。それ以上はよくわからない。

能の台本も同じく。昔そういう人が居たらしいという話になっている。

この当時の結婚観は、通い婚で、それなりの甲斐性がある人は、幾人かの女性の所に通っていたようだから、今と感覚は違うだろうけど、女郎花の二人は、都で一応夫婦(婚約)関係にあり、迎えに戻ると約束しながらも、そこから男一人、八幡に戻って来る。

なぜ一人で戻ったのか。

それは仕事の為だったのか、実はその女性と少し距離を取りたかったのか、あるいは何か家の事情だったのか、それとも家に実は本妻がいたのか、その本妻と別れ話をするためだったのか、はたまた別の全く恋人が出来たのかは、能台本からは、わからない。


でも結局のところ、日が経ち、男が迎えに来ないので痺れを切らして都から追って来た女性は、自分が男に捨てられたと誤解?をして、死んでやるー!と身投げする。コワイコワイ。

なぜ誤解したのか?

三流抄という原作本?では、留守の者が、他に新しい妻が出来て、そっちに行っていると答えたので、絶望したとある。

うむ。これなら、明らかに裏切ったので、なんとなく納得出来る。

でも能台本は、そこは、間狂言がさらりと触れるだけ。
留守の者が心なく答えたので、女は、男が心変わりしたと誤解したという感じになっている。

当時の人は、女郎花の昔話を皆知っていたのが前提となっているのか、その説明はあまりされていない。

こないだ現地行った時見た伝説の説明文では、男の足が遠のいたとか、新しい奥さんが出来たとか、そんな事も書いてあったような。。。

何故男は、後を追って死んだのだろうか?

三流抄では、新しい妻の存在が出てくるのだが、そういう人がいて、あとを追うか?
何か政略結婚のような気の進まない相手だあったが、心は都の女にあったとか。
何かすっきりしない。


この疑問を解消するためなのか、能台本は、話をシンプルにするために、本妻さんや新しい恋人の存在には触れず、留守の者との、やり取りで勘違いした事になっている。

あくまでちょっとした誤解で、男はその女性が好きだったんだなという話。

必ず迎えに行くと言ってすぐに行かずに誤解を招き、好きな彼女が自殺し、罪の意識に苛まれ、後を追ったという筋書きだ。

女郎花の男女の伝承は、その後のことは、伝わっていないので、旅僧の弔いに出てくる後半は、能独自の部分。

後場の旅僧の弔いの前に、女は、男と現れてもなお、[恨むらさきか、葛の葉の ]と謡い、死しても男に恨みを残してる。
先に身を投げた彼女は、死んでも恨んでる。。。許してない。
花になっても、男が近ずくとなびき退き、離れると元に戻る。

こうなると、あと追った男は報われない。

あなたがちゃんとしないから、不安になって、それで誤解して、おかげで私が死んでしまったのは、全部あんたが悪い!
今更あんたが死んでくれても遅いわ。どーしてくれるのよ私の人生。
もうあんたなんか嫌い!と(まあ、そう思ったかはわからいけど)恨んでいる。

やっぱり小野頼風が、どうにもこうにも悪いのだろうと思えてくる。

女性に、これってどう思う? と尋ねると、十中八九、この男が悪い!
そんなの当然だ!と言われそうだ。



能台本では、死後もなお、頼風は地獄で恋人を求めて、もがき苦しむ。
山の上に恋しい人を見つけて登るが、その山は、剣の山でズダズダに引き裂かれ、岩で骨を砕かれるのだ。
それが永遠に続く。怖い。


しかし、
前半では、旅僧の前には、この世で女郎花の花になった妻を守る花守として化現する。
妻の花が咲き乱れているのだ。まるで天国だ。

それはまさに頼風が夢見た幻の風景なのかも知れない。

長閑な女郎花の咲く野原で、風流に和歌など歌っている。

で、壮麗な岩清水八幡宮まで参詣する。

能の後半の地獄模様とは打って変わって長閑なのだ。

一応後半に続く伏線なのだが、あまりに長閑な場面が続く。しかし、
突然、実は、妻が自殺しまして、私も自殺しましてという展開に強引に持っていかれる台本なのだ。

なんか、言葉にすると、そもそもは凄惨な事件なのである。
能になると、やんわりとした感じになるが、テレビドラマならかなりディープな話だ。

しかも事件の現場は、放生川。
生きる魚を放って功徳を得る放生会をする神聖なところな訳で。
土地の人なら知ってるだろう神域に、知らずに入ったとは思えないのである。
婚約不履行でカッとなってしまったか?
もし、神聖な川だと知ってたとなると、男が神事に関わる人であてつけたか。何れにせよひどく罰当たりな場所だ。
そして男も、よくそこに後追って入ったと思う。罰当たりますよ。本当に。
まあ、だからそれも含めて罪は重くて地獄に堕ちたのだろうけど。


それでも。それでも男は女の後を追った。そういうことなのかなあ。
その執着が罪である。

あのさー。頼風さん。
初めからこんな事になる前に、何とか出来なかったのかい???と、聡明な皆さんは思われる事だろう。僕もそう思う。

でも、それだと物語にならない(笑)

で、男と女の間には、きっと他人には想像もできない事が沢山あるのかも知れない。子供にはわからない。


妻 かの頼風に契りを込めしに
頼風 少し契りの障りある。人まを まことと思いけるか。


この二人を引き離した、障りとは何だったのか、最後まで分からずじまいであった。

原作らしき話から離れて、能のオリジナルな脚色台本は、詳しくは語らない。


曲舞の中で、「ひとえに我がとがぞかし」自分がいけなかったと嘆いている。

それ以上は語られないから、この行き違いは二人だけの永遠の秘密なってしまった。

誤解で身投げなんてねえ。

実に隙間の多い台本であれこれと妄想膨らむ演目なのであります。

最後は、岩清水八幡宮の本家とも言える宇佐八幡宮のある九州から来たという旅僧(佐賀県の松浦潟から来たと冒頭に名乗るが、宇佐八幡宮は大分県であるから近くもない)
が弔って、成仏に向かわせて終わる。

どこか曖昧模糊とした作品であるが、ある人にとっては、とても考えさせられたり、身につまされたりするのだろうか。。

さて、どんな頼風になるか、ご期待ください。


当日券あるそうです。観世九皐会事務所へお尋ねください。




諸国一見の能楽師 女郎花 おみなめし 恋の道は険しい

10月9日に迫った九皐会定期公演で、女郎花(おみなめし)のシテを勤めるので、京都石清水八幡宮に参詣しました。(書き足しているうちに、文章が長くなりました。)

この曲、ちょっと分かり辛いだろうから、ざっと能の物語を追います。

この曲のワキは、九州から都見物に上京した旅僧で、旅の途中に故郷の宇佐八幡宮から勧請した石清水八幡宮に立ち寄る事にします。
(ワキというのは、ワキ方の演じる役どころ。対して、私はシテ。前半は、花守の老人。後半は頼風の二役。)


その八幡宮のある男山の麓で女郎花の黄色い花が今を盛りと咲き乱れる野辺にたどり着きます。
古歌にも読まれた花であり、お坊さんが一本の花を手折ろうすると、それを一人の老人が忽然と現れて、呼び止めるところから物語は始まります。
(能では、呼びかけと言って、橋掛りの五色幕の中から声がかかります。どこからか忽然と現れる。そんな風情です。)

老人は、野辺の花守りでした。
古事の古歌を引き合いに出して、花を手折ろうとする僧を諌めますが、僧は反論の和歌を口ずさんで、風雅な歌争いをしながらの問答となります。

しかして、ついには老人に言い負かされて、花を取らずに去ることにしますが、その時何気に口ずさんだ言葉が、古歌の言葉と重なったので、老人は旅僧に心得ありと喜び、一本だけ花を折ることを承諾します。

この歌問答くだり、幾つもの和歌が読み込まれており、そこが風流な味わいなのですね。

中でも、僧正遍昭の歌が読み込まれてくるところに色気があります。

僧正遍昭は、桓武天皇の孫にあたり、もとは岑宗貞と名乗った貴族でした。
出家するまで仁明天皇に仕え、「色好み」(良く云えば恋多き男?)と噂された人でしたが、35歳で出家してからは、遍昭と名乗り歌詠みとしては六歌仙の一人に選ばれています。

誰もが知る能、「羽衣」のクセの謡い「雲の通い路吹き閉じよ乙女の姿しばし留まりて」は
出家前の宮仕えの頃、五節の舞を見て詠んだ歌「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 」(古今集)を取り込んでいると思われます。

そんな酸いも甘いもご存知の遍昭が詠んだ歌などを引き合いに出しながらの歌問答。

折りつればたぶさにけがる立てながら三世の仏に花たてまつる(遍昭)

秋の野に なまめきたてる女郎花 あなかしがまし花もひと時(遍昭)

名にめでて折れるばかりぞ女郎花 われおちにきと人にかたるな(遍昭)

女郎花よるなつかしくに匂うかな 草の枕も交わすばかりに
女郎花憂しと見つつぞ行き過ぐる男山にしたてると思えば

こんな元歌が台詞に読み込まれています。

女郎花は、若く美しい女性の事も暗示していますから、おのずと色気のある歌ばかり。

その花を手折るというのは、女性との契りを暗喩しています。
お坊さんが、女郎花を手折るのを、ちょっと待って♪ と止めるのには、そんな暗示があるのですね。

そして、実は、その女郎花こそは、この山の麓の放生川に身投げして、その後、花に生まれ変わった妻の事であり、この花守の老人こそは、その女の夫(小野頼風)の化身であり、女郎花を折ることを止めるのは道理で、花(妻)を守る人として現れたのです。
この夫婦(今の感覚だと恋人に近いかな)の事は、後半に明らかになってゆきます。



さて、この旅僧。
八幡様にお参りするのが目的だったが、女郎花の花に惹かれてすっかり時を過ごしてしまったとこぼします。
すると老人は、自分も参詣するところだから案内しようと、二人は石清水八幡宮のある男山を登って行きます。

ここまでが、序盤。
トントンと話が進まないところが、この曲の味わいと、解釈してください。

せっかく女郎花の花畑にいるのに、男山に伝わる男女の悲恋話に一気に進まずに、いったん八幡様参詣へと場面は変わるのです。

ま、男山の麓に来たら、目の前の山にある石清水八幡様を拝まないわけにはいかない。
それ程の八幡宮です。

というわけで、私も京都府八幡市にある男山、石清水八幡宮へ参詣。

頃は、9月下旬。
何世紀の時を経た現代の私が、石清水八幡宮を懐に抱く男山を訪ねたのですが、なんと一本たりともこの黄色い女郎花の花を見ることは出来ませんでした。

木津川 宇治川 桂川の三河川が交わり、淀川となりますが、この山のすぐ麓の川辺りまで行けばあるいは、見えたかも知れません。
最初にワキがやって来たのは、川向こうの山崎でしたから。

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さて、石清水八幡宮に下から歩いて登ったことのある方は、これがかなり大変な上り坂である事は、ご存知かと思います。
現在は石段があり、それでも30分位はきつい坂が続きます。

でも私は、行きはケーブルで5分(笑)。
帰りは、汗びっしょりになりながら、20分以上の苔で滑る道を下りました。

そもそも、ここは、石清水。
麓の岩に水が湧き出たことに由来するとか。
山肌にも水が伝っているようで裏参道などは苔むしていて風情があります。
神主さんに「滑りますから気をつけてください」と言われた通りで、帰り道、ぬかるんだ坂で小さな蛇にも出くわしました。
ご苦労さんと言われた気がして、ちょっと嬉しかったです。


*ここ訂正しました。
能のテキストでは、まず麓の放生川を見込み、そして御旅所を拝みます。
この御旅所は、今は麓の一の鳥居側の頓宮殿の事のようです。
そこから山を上って行くところが、下歌、上歌に読み込まれています。
もしかすると現在と台本に書かれた当時では位置関係が変わっているかも知れません。

一ノ鳥居から望む男山
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御旅所辺り
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能は省略の芸術。
あるものを省き、観客の想像に委ねる。
物だけなく、時間や空間も圧縮、省略して飛び越える。無くてもある。
見えなくてもそこにある。

演者は、客席の方に向かって静かに三足ほど前にゆっくりと歩みます。
それで野原からいよいよ八幡宮の麓にやってくる。
この三歩で、場所と時間を飛び越します。

え、それだけ?

とか、言いたくなるのをこらえて下さい。

これが芸の見せ場であり、観客にとっては想像の肝なのです。

ただ、わずかに歩む。
それで、景色が変われば、しめたもの。
大事な事は、目では見えないのですね。

そんなわけで、この三足は、自ずとしっかり(ゆっくり)になります。


さて、今回伺った石清水八幡宮は、今年国宝に指定されました。
この石清水八幡宮は、大変な歴史と由緒を持つ神社なのに駅前も町も案外ひっそりとしてました。

朱塗りの社が実に美しい。
信長、秀吉、そして徳川と、名だたる大名がこぞって修復したという立派な社。

西暦859年創建の歴史を誇り、都の裏鬼門の要として建てられ、国家守護を祈念する伊勢に続く第二の宗廟と言われて皇室の御崇敬も厚い。
この作品が書かれただろう室町時代、かの世阿弥さんを見出した将軍足利義満の母上は、この岩清水八幡宮所縁の善法寺家の人であり、八幡は、足利尊氏以来崇敬され義満自身も、十数度と参詣している。
なので、ここをストリーに盛り込まないわけにはいかないのであります。


私は、参拝見学コースを申込んで、平清盛が舞を舞ったと云う内陣の舞殿で参拝し、伝左甚五郎作の見事な彫り物で囲まれた結界の瑞垣や、織田信長寄進の金の雨樋、そして、武内宿禰の武内の神をお祭りするとこなどを見せていただきました。
清盛が舞ったその場所で、参拝だなんてロマンがあります。

山の展望台からは、遠く鬼門の守り比叡山を望むことが出来、現代の京都の街並みが軒を連ねていました。

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能では、その景色を、巌松がそばだって。
三千世界もよそならず千里も同じ月の夜。
月光に映える朱色の神殿の瑞垣、錦の幕が壮麗な佇まいの社の前に立つと、ありがたさが込み上げてくる。と謡い上げます。

さて、話に戻ると、神社まで旅僧を連れてくると、老人はもう日も暮れたから帰ると言います。

すると旅僧は、
ところで老人、女郎花とこの山なんか関係あるのですか???

などと、今更、ずっこけるような質問をするのです。
えー。最初の歌問答はなんだったのよ、、。
なんもわかってなかったのね、お坊さんは。

ということで、老人は、旅僧を、女郎花のいわれの塚へと、再び山を下って、引っ張って行くのでした。

この時、先程と同じように、静かに三歩舞台を歩みます。
これで、山の上から麓の塚のあるところまで、場所と時間を飛び越します。
実際には汗だくの20分でした。

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舞台では三歩ですが、麓に来た頃には実際にはそれなりの時間が経っていて、辺りはもう暗いのです。
(能は、照明が落ちませんから、心の中で月明かりを想像)

いよいよ、男女の二つの塚の前に来た二人。

この塚のいわれを聞かせてよ。と僧に尋ねられた老人でしたが、

恥ずかしや、古を語るもさすがなりと云って、夢のように闇の中にかき消えてしまうのでした。

えー!
ここまで引っ張っておいて、この男女の事件を語らずに前半終わるの?
後半に「つづく」になるなんて、今のテレビドラマみたいです。


と、まあ、なかなか長い前半。
岩清水参詣を間に挟むので、一気に物語の核心に近づかないのですね。

現在、男塚と、女塚は市内の1,5㎞離れたところにあります。
男塚は、街の中にひっそりと。
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女塚は、松花堂庭園に。実はこの日、行ってみたら休館日。
女塚には会えずじまい。
小野頼風役の私は、なびき退けられたようでした。


(ここで前半のシテの老人は中入りし、続いて 間 アイ と言われる狂言師が役を勤める麓の男の語りが入ります。)

老人が消え去ると、麓に住む男がやってきて、小野頼風夫婦の身投げ事件の顛末を語ってくれます。

都に出た時に、女と契りを結んだ小野頼風でしたが、忙しくなり、男山に戻って仕事しておりました。
現代で言えば、都会で同棲し、結婚の約束をして、すぐに迎えに行くからと行って地元に帰り、でも仕事が忙しくなって、ろくに連絡もしないでそのままになってしまった。
そんな感じでしょうか。

やがて女は、心配になり男山の頼風の元を尋ねますが、あいにく頼風は山上に用事で出ていて留守でした。
ところが中から、誰かがひどく横柄に、*「今いないよ!帰んな!」と返事をしたので、男が心変わりしたとすっかり誤解した女は、失望して麓の放生川に身を投げてしまったのです。
あたりの人は大騒ぎになりました。
そこへ騒ぎを聞きつけて戻った頼風は、女の亡骸を土中に埋めて女塚としました。

またその時着ていた山吹色の衣も埋めたのですが、そこから女郎花の花が咲き、この山の名草に成ったこと。
そして頼風も、やがて後を追って身を投げて男塚に葬られた事など、この山の伝説が語られます。

*(実際の舞台では、ただ「中より荒けなく」答えたとあります。でもこれ、何となく中から答えたのは女性のような気がしますよね。)
(###元の言い伝えでは、やはり女性だったとの説、留守の者が、別の女の人のところに行ったよ!と答えられたなど、諸説ある模様)

現在の放生川。
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放生川に架かる安吾橋から見た男山。
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旅僧は、麓の男に、さっき不思議な花守の老人に会った事を話します。

すると、「この辺りにそんな老人はいないよ。それはきっと小野頼風の魂が、老人の姿になってやってきたんだよ。
お坊さん、弔ってあげなよ。」
と、いわれて弔いをしていると、いよいよ、かの男女の亡霊が現れて救いを求めるのであります。


能では、恋の妄執といって、この執着心ゆえに地獄に落ちるとされています。
恋愛には、嫉妬や独占欲など、色んな欲望が付きまとう訳で、仏教では、それが要因で地獄に行くと描かれているのですね。

この能の後半では、入水事件を再現して舞語り、女は男に執着し、男も女に執着して、地獄に落ち、男は地獄の山の上に女を見つけて、剣の山を登って刺し抜かれ、岩で骨を砕かれる苦しみを受けていると訴え、最後は救いを求めて消え失せる壮絶なラストです。

まあ、自ら執着の手を離せばいいのですが、それが出来ない頼風でした。

険しい剣が待っているというのに、それでも人は、恋をするのでしょうねえ。
それが人間らしくもあり、共感を呼ぶところなのかも知れません。


と、この曲、内容が物凄く盛り沢山で手強いですが、頑張ってみたいとおもいます。

お問い合わせは観世九皐会事務所。チケットあります。click!矢来能楽堂










横浜音祭り関連イベント 舞囃子コンサート

明日ここ行きます。↓あまり行った事のない横浜磯子にある舞台なので楽しみ。横浜音祭りにエントリーしていて、出囃子や舞の囃子の音楽がメインテーマで、太鼓方の大川師がメインナビゲーター。私は仕舞の屋島舞ます。
謡いも音楽なのでね。
久良岐クラキ能舞台ってとこです。

能舞台って、結構いろいろなところにあるのですよね。
舞囃子コンサート
舞囃子は、奥川師の融です。
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